今回のとくに教育者向けのマインド&ライフでの、
ダライラマ法王のコメントより。
「コンパッションには二つある。
ひとつは、生理学的に備わっているコンパッション。
それは自然に、友人や、自分に対してやさしくしてくれる人に向けられる。
もうひとつは、人間の知性を使って後天的に身につくコンパッション。
それは、気づき(Awareness)と、全体性への見解(holistic view)によるもので、
敵にも向けられるもの。
後者のコンパッションは、暖かいハートの教育、トレーニング、
論理的思考によって可能になる、
態度のことである。
そして、自由とは、
人生を自分で制御できる感覚を持っていること。
それには、コンパッションのスポーツジムが必要だ。
マインドをトレーニングすること、
それを身体的に物理的に慣れ親しむことが必要だ。
これは分析的な瞑想によって可能になる。
幸せで平和な人生は、
内なる潜在力に依存する。
それには、コンパッションを育むこと・・・・・
平和は、私たちの知性と、
全体性の見解を使った努力によるのだ。」
そして前にもティーチンングでも何度か聞きましたが、
やはり今回も、ダライラマ法王は、
お祈り以上に、仏教の勉強をしなさい、と、強調していました。
とくに、日本人は、論理的思考を身につける必要があるのだろうなーと思います。
初日はカメラもPCもダメダメと言うことでしたが、
二日目はフラッシュなしなら撮影していいと言われたので、パチリ!
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瞑想とは、何かに慣れ親しむこと。
ほんと、今回、バリー先生が、心の本質に触れること、
つまりとにかく、瞑想に力を入れているのが、余計になぜかわかってきた・・・。
とくに広島では、今回3日間、瞑想に集中する、
それも20年以上、ひたすら仏教の瞑想を専門とする方とできることが、
いかに貴重か、という思いもますます強まった。
http://www.opensense.jp/education/workshop/detail.php?id=102
ネパールで仏教の修行していたYさんにも、
「とにかく、瞑想の先生と何度も瞑想すること。
機会があれば、とにかく短くても何度でも一緒にすることが貴重で、大事なのよ」
と繰り返し言われていたことも思い出した。