人生と社会には、そこにどのようなめくるめく悦楽があろうとも、絶対に扉を開いてはならない禁断の扉があるということを、実体験としてその意味するところを認識することは容易ではありません。かく言う私こそ、何度となくその扉を開いてしまったことかー


 たとえば、不倫にしても、そこにどのような悦楽があろうと、そして現代においては許容される愛なるものがあったとしても、ある状況の家庭には、絶対に手出ししてはならない場合というものがあるのではないだろうか。つまり、これは一例でありますが、その他の場合でもそれに匹敵する状況があるのではないだろうかー


 そして、もっとも困難なことは(あるいは、私だけが困難と思っているだけで、普通の人は良識として自明のことかもしれませんがー)、その意味するところを正面から認識し、正面から理性で実践出来る人格に到達することです。