1反歩(1000㎡)を
座って草取り鎌で草を取る作業心理学では
おそらく宗教的な修行である
たとえば千日回峰行と同じ修業の
真実が見えてくるに違いない
つまり
1反歩(1000㎡)の畑の草を
座って農家のおばさんのように草を取ろうとすると
そこでは
単なる勢いづいた思い上がりや
気負いや あるいは生きがいとかいう
甘い美徳などは一切通用しない
そこでは正真正銘の
真の持久力が必要であり
草を取っている間も
その膝の痛みや腰の疲れの中でも
作業を持続させるだけの
基礎的な あくまで基礎的な心の中に
暖かなものがないと通用しない
つまり、私が
「模索段階の自我同一性」と呼んでいる
人生を模索しているその最中にも
すでに基礎的自我同一性がそなわっていなければ
ならないのであり
すでに基礎的な心の温かみが必要なのである
つまり人生の荒波を乗り切るためには
極端なことを言えば
幼児期自我同一性
少年期自我同一性の完成されたものが
そなわっていなければならないのである
つまり幼児期に障害を持ったまま
成人した者に向かって
「大人だろう? そなんことがー」を連発しても
多くの場合意味を成さない
つまり幼児期自我同一性を馬鹿にしてはいけないのであり
自分の中でそれがそなわっていないのなら
人生の早い時期に気付き
十分に幼児期少年期自我同一性を供給する必要がある
もう一度言おう
人生の模索段階において
すでに一定の基礎的模索段階の自我同一性が必要である
つまり
1反歩(1000㎡)の草取りは
幼児期自我同一性が欠落している人間には
100%不可能である
つまり、幼児期自我同一性と
少年期自我同一性を完備したが故の
本当の大人しか
1反歩(1000㎡)の草取りは出来ないというのが
修行の真実である