実に久しぶりの書き込みだ。

IHヒーターの掃除 - 2011/04/28(木)

洗濯物を干してから、午前中はIHヒーターの掃除をした。まったく油もつれで、ネトネトして中々汚れが落ちない。やっと調子が乗ってきたときに家内が郵便局へ行 きたいといってくる。仕方がないので、掃除に関する小物を買うのを兼ねて郵便局へ行く。

昼までになんとかIHヒーターの掃除が終った。
元のところへ設置し、昼食を摂る。キチンが普通うに使えないので不便で仕方がない。

午後は冷蔵庫の後の汚れを落とす。これは簡単。洗面台の周りもやる。これもそれほど時間はかからなかった。
和室いっぱいになっている食器類の整理が大変だ。使わない食器は段ボール箱に入れて仕舞っておくようにしたい。

OPEN爺さんの棲家-整理中の食器類


家内は古い家のキチン・シンクを換えると言っている。
「その必要はない。やめろ。」と反対したが、「もう注文した」ということで、まったく金の生る木で も持っている積りなんだろうか?考えていることがまったく分からない。何がもったいないかといって不必要なものに金をかけるほどもったいないことはない。

早めの夕食を摂っていたら、左官がコーキングにやってきた。キチンから居間に食事を移したりしていて、結局コーキングが終るまで夕食が延びた。

OPEN爺さんの棲家-臨時の食卓


終日キッチンの整備 - 2011/04/29(金)

5時半に生ごみを出す。もう明るい。
その後、新聞を読んだりしていて、洗濯物を干し、キチンの整備にかかった。

休み休み、午前中を済ませ、昼食はジャガイモを茹でて済ました。友人のK氏にもらったった初物である。小さいが新鮮で美味い。家内は書道展締め切りが近いと言って、久しぶりに書道をやっていた。午前中の5枚書いたそうだ。

午後も、中学野球の決勝戦・鏡野VS安芸をラジオで聞きながら、キチンの整備をする。室戸のM子がまた筍を持ってきていた。キチンが広くなったのに驚いていた。
南電器のH君が換気扇のカタログを確認に来た。実物は連休明けになるそうだ。
長男より電話がある。連休中に一度は帰ってくると言っていた。

夕食にはソーメンを作る。
とにかく今日は一日中立ちっぱなしで集中してキッチン整備をした。

OPEN爺さんの棲家-キチン

歩数は24000歩。そのわりに疲れている。しかし何とかキチンの環境は出来上がった。

風呂に入って、ウイリアム王子の結婚式を少し見た。

夢の話である。
毎度のことだが、どこから覚えているかが問題になる。

ずっと向うの東の空から飛行機が編隊を組んでやってくる。見る見る近づいてきて過ぎ去っていく。と思うと旋回してまたこちらにやってくる。10機ちかくいる。乗員が見えるほどかなり近くまでやってくる。邀撃する高射砲かなんかが撃ち続ける。編隊の最後尾の機に着弾しパッと火花が上がる。その機は墜落し、さらに、先頭の機が低い丘に激突して燃え上がる。
墜落を免れた一機が近くへ着陸し、中国系と思われる特殊工作員風の男たちが何人か降りてくる。手にかざしている身分証明書が中国名なので、中国人かな、と私は思っている。「こいつらは「草」だ!」と私は直感する。何代かにわたって特殊工作をするために送り込んでこられた忍者だ。はじめはアメリカ機だと思っていたが、実はそうではなかった。日本に送り込まれてきた中国の工作員だ。実は私も「草」なのである。

起きたときは大変面白い夢だったように思っていたが、こうやって書いてみるとディテールがあいまいなので少しも面白くない。見たとおりに表現できれば相当面白い夢だったのに残念だ。
午前6時前に起きたので、整形病院へ予約に行く。すでに一人予約を済ませている人がいた。

新聞を読み、洗濯機を廻し、干すのは家内に任せて、整形病院に行った。
病院のオムロン血圧計で計ると、我が家の機種と同じでやはりそれぞれ10ぐらい高い数値になる。血圧はサイレンとキラーと言われるように自覚がないそうだが、いつも血圧計が間違っていると思うようにしている。
病院からは9時半に帰る。

選抜野球を少し見た。横浜が敗退する。
何とか乾いた洗濯物を取り込む。
散歩を兼ねてスーパーへ梅干を買いに行く。
途中の「ふれあいの道」に土筆が延び切って生えていたのを撮る。

OPEN爺さんの棲家

スーパーに行く前に図書館で本を借りた。例によって、浅田、石田、五十嵐の作品。浅田はエッセイ集である。
たまたま図書館にいた同級生のHと隣の喫茶「アクセス」で半時間ぐらい世間話をし、スーパーで梅干を買って帰宅した。

夜は英語の勉強もかねて、東日本大震災の海外ニュースを見てみた。
主としてBBCとCNNである。
BBCの動画には、日本で放送されなかった空撮の大規模津波のものすごいのがあった。
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-12725646

後ネットサーフして、英語のサイトなどに入り大災害に対する各国の反応などを見ていたら、腹も減りパンやコーヒーをやったので眠れなくなり午前3時ごろまで起きていた。

最後は社会人入学を検索していて「サイバー大学」というのに行き着いた。IT総合学部というのであるが、単科でも履修できるようなので、カタログを請求しておいた。「総合英語(プレゼンテーション)」と言うのに興味がある。
このブログにはまったく書き込みをしていない。
たまに書いてみるか!

快晴なので洗濯物がよく乾くだろう。

朝「スカイプ」をやっていたら、ちょっと不快なことがあった。
「スカイプ」といい「フェイスブック」といい、交際範囲を広げていると、とんでもないことになる。「友だちの友だちは友だち」と言うことでマイフレンド(サイトによっては言い方が違うが、、)を増やしていると国内国外ともに変な人物に行き当たる。今朝はその変な人物が変な事をしたので、直ちに交友関係を中止した。今までの分のそれぞれをチェックしてみる必要がある。

家内を「ふれあいホール」に送っていく。色紙展のテープカットに参加すると言うのである。ところが期日を間違っていたそうで、私が買い物を済ませて帰宅したら、歩いて帰っていた。午後は安芸市の病院yへ行くことになっているが、これは間違っていない。
その後、家内の血糖値変化記録表を作成する。今回は4-6月分で、3ヶ月ごとに作っている。

午後家内の通院で安芸市へ。
安芸駅に展望車が入ってきたので数枚撮った。

OPEN爺さんの棲家-展望電車

内科、耳鼻科、3件の買い物を済ませて、帰宅は5時前に。
七輪に炭を熾して大根を湯がき、ぶり大根を炊いた。大根が柔らかく炊けた。

夕食後は、アル・パチーノが老人に扮したアメリカ映画を見た。
死期の近づいた老人と孫の少年の交歓を描いた映画である。

9時半に就床。

OPEN爺さんの棲家

☆ 空谷碑吾は無策の春日かな

At Kuhkoku monument
I have Nothing to do 
On a spring day

空谷は浜口雄幸の雅号。高知県田野町にその養家がある。
門の前に句碑があるのだが、辞世の句がぽつんと立っている。

今の世の中には浜口のような人物が皆無であることが淋しい。

むしろ

☆ 空谷碑国は無策の春日かな

の方が今の政治にふさわしい。
☆ 俳句

麗らかや空を切り割くジェット雲
麗らかや空を切り行くジェット雲
英語にしてみよう!
Two contrails slash
The blue bright sky
In spring.
この写真には飛行機雲が写っていませんが、エンジンが2つなのでだいた飛行機雲を二筋引きずって飛んでいきます。



逆うちの歩き遍路や日脚伸ぶ
The days getting long
Henros go on foot
Along a reverse course.



今旅に出たき心の枯野かな
To go on a trip
Shall I make up my mind
Toward the winter fields ?



大体午前中は何もしないのに時間が過ぎてしまう。
午後、爺さんは面接員や補助員への謝金を封筒に入れ、必要な資材をチェックした。段ボール箱2つ を車のトランクに納め、電気ポットも座席に積んだ。
婆さんが「刺身が食べたい」と言うので、例によって山信へ行く。買った刺身よりもらった惣菜が 多い。今日はブタ汁がついていた。

退屈紛れに読んでいた「ロードサイドクロス」を読了し、図書館へ返しに行った。
今日も3冊借り てきた。先日近くの映画館でやっていた「まいまい新子」の原作(高樹のぶ子)と他2冊である。

帰路、駅前のコンビニの前のベンチに外国青 年が二人座っていた。「クナルカン」と呼びかけてみたら、やはりインドネシア青年だった。隣町の漁船ドックに入って退屈な毎日を過ごしている様子。片言の 日本語が話せる。爺さんはインドネシア語はほとんど忘れている。「ビサ・バハサ・インドネシア・スディキット」ぐらいのものだ。
漁船にはインドネ シア人が14名、日本人幹部が6名乗船しているそうだ。先月の29日にドック入りをし、3月9日まで奈半利にいると言う。「かごお・ドック」でインドネシ ア青年に日本語を教えていたことなども話す。

帰宅して、さっそく「まいまい新子」を読み始める。作家の自伝小説で昭和30年9歳の頃の話 である。
爺さんは31年に大学を出た。ちょっとその頃のことを思い出した。