偶感

9月6日の高知新聞「現論」コラムに「死に支度の時代ー自分自身に責任を持つ」というタイトルで、宗教学者・山折哲雄氏のエッセイが 掲載されていた。

「おくりびと」(本木雅弘主演)、「納棺師」(青木新門著)、「悼む人」(天童荒太著)、が話題なる中で、教え子の一人 から「遺品整理業」なるものの存在を聞かされ、今更ながら身辺を見回して不安になる山折哲雄氏である。氏は新旧雑誌、書類、書籍に取り囲まれ身動きならな い自分を発見するのである。このまま世を去ると言うのかと思うと居ても立ってもおられない。そこで氏は、時はまさに「死に支度の時代」だ。いかにして自分 をみとるかと考えるようになっていた。
追い討ちをかけるように「糞土師」と名乗る伊沢正名さんという写真家のことを新聞で読む。伊沢さんはし尿処 理施設建設反対運動から一念発起する。「せめて自分のものには責任を持とう」と。そして「信念の野糞」を始めて36年が経つのである。
山折氏は脱 帽して頭をたれる。かつてネパールの山中で野糞を試みるが、どうしても用が足せなかった記憶がよみがえる。
このように、「おくりびと」「悼む人」 「遺品整理人」さらには「糞土師」と、われわれの社会はもっとも根源的な仕事を提供し始めているようである。前述の彼らは、阿弥陀や高野聖のように現代の 「ひじり人」たちかもしれない。

自分自身を省みると、もし今自分が突然死した場合に、これはとんでもないことになるぞ、という思いがあ る。自分だけにしか分からない処理必要な事項がたくさんある。例えばインターネット関係、これは大変だぞ!畑や田んぼ、建物などの相続関係、書籍・書類の 整理、段階的に少なくしている様々な対人的な仕事にしても引継ぎがうまく行くだろうか?
友人のU 君が急死したときでも、英検と友の会の引継ぎがうまく行かなかったことを思い出す。
だが、自分の死を前提にした様々な作業は今はずっと後回しにし てきている。南海地震と違って確率は100%であるのに、「当分は大丈夫」という理由のない希望的観測からだらだらと後回しにしているのである。
午前2時に小用におきた。昨夜のウイスキーのせいなのか尿のアルコール臭が気になる。
約1時間ぐらい「男おひとりさま道」を読んで、再度眠る。
起 きたのは7時。生ゴミの日だ。あわてて出してくる。いつもは6時ごろに出すのだが、7時ともなればどこの家庭の生ゴミも出されていた。袋からはみ出しそう になっているのもある。
洗濯機を回し、天候が定まりそうにないので軒下に干して、さて「日記」だ。久しぶりに夢の記録と行こう。

何 でも新しい検索エンジンが開発され、Doodleと名づけられている。そして「Doodle for Google」というキャッチ・フレーズで宣伝して いる。「Googleを超えるDoodle」ということなんだろうか?それなら”for”じゃおかしいだろうなどと考えている。どんな性能の検索エンジン か分からないが、そのフレーズだけは忘れてはいけないと、例によって夢の中でもしきりに書きとめようとしているのである。
小用におきたとき、やっ とメモをした。これで一安心と思って眠ったら、肝心の検索エンジンがどんなものだったか忘れてしまった。
Doodleとは「いたずら書き」とか 「落書き」とう意味で、ノートなどにするもの。YankeeDoodleが有名だが、待てよ、graffitiは「壁などへの落書き」だったんだ。じゃ、 Googleとはどういう意味だったのか、今まで知らないで使ってきていた。ということで朝ウキペディアで調べてみた。
「Googleという言葉 は、googol(グーゴル)という言葉の綴りまちがいに由来する。1997年にラリー・ペイジたちが新しい検索エンジンの名前を考えてドメイン名として 登録した際、googol.comを google.comと綴りまちがえたのがその起源と言われる。、、グーゴルという言葉は、アメリカの数学者エドワード・カスナーの甥のミルトン・シロッ タによって作られたもので、1グーゴルは10100(1 のあとに0が100個続く数・10の100乗と読む)である。」ということらしい。なるほど、なるほど!
今朝は珍しく昨日の高知新聞の「現論」コ ラムに出ていた山折哲雄氏の「死に支度の時代」というエッセイについて書こうと思っていたが、これだけ書いたらイヤになってまた次にすることにした。その 次が果たしてあるだろうかという疑いもある。(午前9時半記)
今日(4日)のPC日記は記入ナシ。
終日、有川浩「シアター!」を読んでいた。

やったことといえば、保護観察関係の書類をまとめ 封筒に入れる。(つまり現在持っている対象者の保護観察が終了したので、関係書類を観察所に返還するのである。)ただし発送は土曜日のため月曜日ににでも と思ってやらなかった。
石川の親戚に不幸があり、同地域に住む叔母に立て替えてもらった香典を現金封筒に入れる。同じく発送は未だ。
ウ オーキングなし。
サッカーは前半で、「こりゃどうせ引き分けじゃ」と見るのをやめた。

OPEN爺さんの棲家

昨日の日記。

朝は毎度のルーティンワーク。
7時過ぎに我が家の上空を高知空港から発った旅客機が、1機そして5分後にまた1機と 飛んでいく。
このごろ毎朝眺めている。

8時半に主任官から電話があり、昨日保護観察対象者が観察所へ来、指導した旨の報告があっ た。27日までの旅行届けを書かせたそうで、このケースは自分の手を離れた感じである。書面報告はするが、対象者からの報告はないだろう、8月報告書は簡 単な経過報告でいいとのことだった。

胸焼けが激しく、気分的に低調である。

その後、「私がクマに切れたわけ」と言う録画 したあったアメリカ映画を家内と一緒に見た。セレブ社会で子守として苦労する女の子の話である。原名はThe Nanny Diaries、2007年のアメリカ映画。原作はベストセラー小説『ティファニーで子育てを』ということだ。アメリカでは割に評判のよかった映画らし い。

近所の同級生より9月末に一部有志による東北旅行をやりたいという誘いがあった。田沢湖にも止まるという旅程で、ちょっと惹かれた が、保護司等中央研修会が近いことを理由に断る。

免許証更新時の高齢者講習の案内が早くも来ていた。次回更新は来年1月であるが、講習対 象者が今から予約しなければならないほど多いと言うことなのか?それにしても講習費が6000円とは高齢者を何と思っているのだろう。

昼 食、夕食ともにソーメンにした。
食欲はあまりないが、ソーメンだと何とか食べられる。夜はソーメンだけだと物足りないので手羽を塩コショウをつけ フライパンで焼いた。まずまずの味だった。

夕食後、奈半利川まで歩く。奈半利川橋の中央で夜風に吹かれる。涼しくていい気持ちだった。
帰 宅したら5400歩、生活歩行は400歩ぐらいだったから、このとき歩いたのは5000歩だと思う。
とにかくウオーキングの時間をいつ取るかが問 題である。
まったく開店休業状態のこのブログだ。

6時起床。洗濯ものを干す。
終戦記念日である。洗濯干し場から八幡様の森を眺める。今朝蝉の声はあまり聞こえない。

「蝉の声今朝 は少なし敗戦忌」
「朝まだきヒグラシ聞こゆ敗戦忌」

最近俳句も余り作らないので、こんな駄句しか出てこない。

以 前作った「偏食の子をたしなめて敗戦忌」が「偏食の孫たしなめて敗戦忌」になってしまっている昨今である。
戦後の65年を自分なりにじっくり考 え、生きた証にするべく「自分史」を少しずつまとめかけているが、どうもあまり進んでいない。それは結局は自己満足に過ぎないのではないかと心のどこかで 思っているせいでもある。
しかし、なんとかしたい。書きやすい時代からはじめるのがいちばんいいだろうとは思っている。そうなると「退職後の16 年」から始めるのがいいだろう。

15日は町主催の「夏祭り」。
午後5時からよさこい鳴子踊りに参加しなければならない。家内には 「足も痛いことだし、役員も辞めたし、ご老人が出る幕ではないのじゃない」と批判されながらの参加である。
踊り、餅投げ、カラオケ大会、出店、野 外ビアホール、最後にトミクジ抽選がある。マンネリズム満載の夏祭りだ。
OPEN爺さんの棲家

午前6時に起床。
「モダンタイムズ」を読む。
8時半よりコインランドリーに行く。
9時に四国銀行田野支店へ。英検資金を金種ごとに引き出す。英検・庶務係のS子さんに出し換えてもらってあった分を返還する。
午前中はテレビを見た。

午後は家内の耳鼻科通院へ。安芸郵便局で保険の月額支払いをし、ついでに英検会場の安芸市商工会館へ手土産(3000円の菓子)をもって挨拶に行く。セコムに午前8時に会館を開けてもらうように頼んできた。

家内がすでに買い物を済ませていたので、すぐ帰宅の途に着く。3時半に帰宅する。
疲れていたので半時間ほど眠る。
赤身の魚を甘辛く炊き、もう一品ジャガイモとたまねぎを炊いた。珍しいことに2品とも家内に好評だった。

夕食後、少し休んで7時から半時間ほど歩いてきた。トータルで約6700歩である。まずまずだろう。
ウオーキングは太陽が落ちてからでないとちょっと無理である。この時間帯がいちばんいいようだ。

OPEN爺さんの棲家-高松順蔵邸宅