最近の物価高には困ったものですが、まだまだ続きそうです。

おそらく、ロシア・ウクライナ戦争、中東紛争(イスラエルvsイラン、フーシ派、ヒズボラ、ハマス)が解決するまでは悪性インフレは続くものと思われます。

 では「日月神示」ではどう書かれているのでしょうか?結論から先に言えば、物価が少しでも安いうちに備蓄しておいた方が良いように思われますし、できればそうすることをお勧めします。物価高だけならまだしも、物によっては入手できなくなるかもしれないからです。 ロシア・ウクライナ戦争と中東紛争は拡大する可能性がありますし、台湾有事も起こる可能性があります。もしそうなれば輸入品が大幅に減少するかストップしてしまい、多くの品々を輸入に頼っている日本では物不足に陥ると考えられるからです。それに地震などの災害が起これば尚更物不足の状態に陥ることになるでしょう。

 ただし、備蓄し過ぎるのは考えものです。「日月神示」でも「いくら買溜めしても神のゆるさんもの一つも身には附かんぞ 」とあるからです。

 

上つ巻 第二十五帖
 一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざから、・・・・・、よく気をつけて呉れよ。北から来るぞ。神は気もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても神のゆるさんもの一つも身には附かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。早う神心にかへりて呉れよ。この岩戸開くのは難儀の分らん人には越せんぞ、踏みつけられ踏みつけられている臣民のちからはお手柄さして、とことはに名の残る様になるぞ。元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、その積りで居れよ。欲張っていろいろ買溜めしてゐる人、気の毒が出来るぞ、神よく気をつけて置くぞ。この道に縁ある人には、神からそれぞれの神を守りにつけるから、天地の元の・(てん)の大神、くにの大神と共に、よく祀りて呉れよ。六月の三十日、ひつくのか三。

 

 現在、世界中で一日15万人(日本中で一日4千人)お亡くなりになられています。「日月神示」では「一日に十万、人死にだしたら」という条件が筆頭に掲げられていますが、これはおそらく(日本でのことではなく)世界でのイベントのように思われます。仮に「日本で一日10万人死んだら」と解釈しますと、食糧難や物不足が到来するのはもっと先の話になりますが、もしそうなれば(計算上)約1200日以内で日本人は絶滅してしまいます。現実的ではありません。2024年には(短期間ではありましたが)日本で米不足が起きましたし、(農家の高齢化問題、減反政策、肥料代や燃料代の高騰等を考慮しますと)2025年以降も米不足は起こると予想されています。やはり今あるいは今からのことを指しているように思われます。

 そこで「世界で一日10万人死んだら」と解釈した場合、既にその条件に達していると思われますので改めてお知らせしておきます。これでいよいよ「神の世」、「後世に名を残すための偉業をなす時」が近づいたのと同時に、「飢餓・餓鬼の世」、「北から攻めてくる時(おそらくロシアとの戦争)」、「大峠の時」も近づいたことになります。覚悟はできているでしょうか?「日月神示」を読んで「身魂磨き」を続けられている皆様方におかれましては、既に神様から守護神をつけていただいているハズなので何の心配もないと思われます。「大峠」を越せるハズです。

 

風の巻 第十一帖
 日本の国に食物なくなってしまふぞ世界中に食べ物なくなってしまふぞ。何も人民の心からぞ。食物無くなっても食物あるぞ神の臣民人民 心配ないぞとも食ひならんのざぞ。心得よ。二月十六日、ひつ九のか三。

 

 最後の「とも食ひ」とは「四つ足の動物(羊、豚、牛など)」のことでしょうか?それとも食糧難で「人を殺して食べる、または死人の肉を食べる」ことを意味しているでしょうか?それとも(狂牛病の時のように)知らず知らずのうちに「同種の遺体やその一部が混ぜられたものを食べてしまうこと」を意味しているのでしょうか?

 動物の肉のことであるなら、ジンギスカン、牛丼、かつ丼、ハンバーグ、かつ定食、カツカレー、焼豚入りラーメンなどを日頃から食べている方は既に「アウト」ということになりますし、どこでも入手しやすいだけあって多くの方が該当してしまうのではないのでしょうか?

 「人の肉を食べること」は現代では現実的ではありませんが、飢餓がひどくなれば否定はできません。「獣」になる可能性はあると思われます。「日月神示」でも戦もできなくなるくらい行き詰ってから「まことの神の民と獣」にはっきり分かれると書かれていますので、見た目は「人」の形をしていても空腹のあまり「人の肉を食べること」が「獣」の証になるのかもしれません。

 

下つ巻 第二十五帖
 今度の戦で・・・・・。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の・・・・・。神は気(け)もない時から知らしてあるから、・・・・・改心が第一ぞ。七月の三十日、ひつくのか三のふで。
 

「同種の遺体やその一部が混ぜられたものを食べてしまうこと」ですが、アメリカの一部の州では2027年より死後、自分の遺体を堆肥にするかどうかの選択が可能」になりました。自然有機還元法(鉄の容器に入れ、生分解性物質に埋めた後、3045日間かけて自然に分解する方法のこと)を用いて人の遺体を堆肥化させ、畑にまき野菜栽培のための栄養に使う計画が実施されようとしています。(例えば10万人/日以上の死亡者など)世界中で死者が増えた場合、従来の火葬や土葬では(増設問題や環境アセスメントなどの問題にぶつかり)遺体処理が追いつかなくなる結果、新たな処理方法として世界中に広まる可能性があります。これも「とも食ひ」と言えば「とも食ひ」になるように思われます。お気を付けください。

 

富士の巻 第十八帖
 神々様みなお揃ひなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、五柱、七柱、八柱、十柱の神々様がチャンとお心合はしなされて、今度の仕組の御役きまりてそれぞれに働きなされることになりたよき日ぞ。辛酉(かのととり)はよき日と知らしてあろがなこれから一日々々烈しくなるぞ、臣民 心得て置いて呉れよ、物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ、泥棒が多くなれば泥棒が正しいと云ふことになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが、保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ、臣民の食ひ物、足りるやうに作らしてあるに、足らぬと申してゐるが、足らぬことないぞ、足らぬのは、やり方わるいのざぞ、食ひて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。それぞれの神様にまつはればそれぞれの事、何もかなふのぞ、神にまつはらずに、臣民の学や知恵が何になるのか、底知れてゐるのでないか。戦には戦の神あるぞ、お水に泣くことあるぞ、保持の神様 御怒りなされてゐるから早やう心入れかへてよ、この神様お怒りになれば、臣民 日干しになるぞ。八月の辛酉の日、ひつくのか三さとすぞ。

 

「日月神示」には「辛酉(かのととり)はよき日」というフレーズが幾度となくでてきますが、今回は食糧難に関する帖にもでてきました。「お水に泣くことあるぞ」ともありますので「水」も当面はなくなりそうです。「辛酉」の日に「食糧難」の原因となるような何かが起きるのでしょうか?「食糧」と「水」の両方がなくなるとすれば、「大災害」や「戦争」が、真っ先に思いつきますが、それが近々「辛酉」の日に発生するのでしょうか?

 

上つ巻 第二帖
 親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民沢山ある。早く (モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト 心になりて呉れよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ配給は配給統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあ るに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。 の国を八つに切って殺す悪の計画 の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。六月の十日、書は、ひつくの神。てんめ御苦労ぞ。

 

富士の巻 第二十帖
 今のうちに草木の根や葉を日に干して貯へておけよ、保持(うけもち)の神様お怒りざから、九十四は五分位しか食べ物とれんからその積りで用意して置いて呉れよ神は気もない時から知らして置くから、この神示よく読んで居れよ。一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、米ばかりでないぞ、何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、神々様さへ今度は無くなる方あるぞ。臣民と云ふものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合はんから、くどう気つけてあるのぞ。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより他には道ないぞ、それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊がこの国に満つ世になりたら神の力現はすのぞ。江戸に先ず神まつれと、くどう申してあることよく分かるであろがな。八月の二十七日、 のひつ九のか三。

 

九十四は五分位しか食べ物とれんから」とあります。「九十四」は「今年(ことし)」と読みます。その年はいつもの約半分くらいしか(米、小麦、野菜、魚などの)収穫がないようです。ではいつなのか?正確には分かりかねますが、既に10万人/日が亡くなられているので、いつ起きてもおかしくありませんが、「大災害」、「大気象異常」、「(WW3、ロシアvsNATO戦争、アメリカ国内の内戦、台湾有事のような)戦争」などが起きなければ、その年は大丈夫のように思われます。