五十黙示録 碧玉の巻 第十五帖
五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
この帖では「666」と「六六六」は明らかに区別されて使われています。しかも日月神示ではたった一度しか「666」はでてきません。あの聖書で有名な「666」が、日月神示ではたった一回しか出てこないのです。「六六六は動きがない(平和な安定化した世)」そして「天地人の大和の姿」と記載されていますので、「666」は「動きがあるまたは動いている(平和でない世、荒れ狂う世、乱世)」そして「大和(合一)していない(または合一前の)姿」というふうに解釈できます。おそらく「神人合一」で「神人」が満ち溢れる平和な世が本来のミロクの世の姿なのでしょうが、どうやらそのような世になる前には「荒れ狂う乱世、修羅の世、不条理な世等」を一度は経験しなければならないようです。つまり国之常立尊(大神) が昭和初期から日月神示(あるいは岡本天明氏)を介して臣民の方々に伝えている「大峠」のことように思われます。
では本来「666」とはどういう意味を持つのでしょうか?聖書には「悪魔の数字、獣の数字」として扱われていますが、「エンジェルナンバー」としては「優先順位の再確認を促すサイン、人生のバランスを取り戻すためには、変化が必要 。」とあります。決して悪い意味ではなさそうなのですが、「変化」が必要とあります。変化を起こすため、なにかしかの「働きかけ(出来事)」が必要となってくるのです。「神様」や「大神様」は「666」の時には「ある出来事」を必要としているのです。そのため「神様」や「大神様」は「邪霊・悪神」に働いてもらう(または活動する)ことをお許しになるのだと考えられます。その結果、この現世に支配、戦争、飢饉、疫病、災害、死等が起きてくるのです。これらの出来事(イベント)はキリスト教では「ヨハネの黙示録の四騎士」として描かれています。今年のパリオリンピックの開会式では「四騎士」のうち「第四の騎士」が出てきましたね。覚えていますか?「第四の騎士」は「死」を意味します。今年からいよいよ「死」に向かって行くという意味でしょうか?ちなみに「USAのデンバー空港」にも「第四の騎士」のオブジェクトが既に作られています。
以上から「四騎士」のことを昔から語り伝えられているキリスト教徒にしてみれば、「666」は「悪魔の数字」として映る、あるい解釈するのだと思われます。「神様」や「大神様」にしてみれば「次の六六六の世に残す種の選別」を行うための「結構なイベント」なのですが、「臣民」にしてみれば「たいへん恐ろしく怖いイベント」でもあるのです。ただし「身魂磨き」が済んでいる「臣民」ならば、これらのイベントを問題なく過ごせると思われます。なぜなら神様は「身魂磨き」が済んでいる「臣民」に対して「どこにいても助ける」と断言しておられるからです。「身魂磨き」大切ですね。もう「666」の世に入っているかもしれません。このブログをお読みになられている皆様はすでに「身魂磨き」を済ませておられるのでしょうか?済ませておられる方は安心して待ち構えていてください。
一方「六(むゆ)」と言えば「数霊」的には「物事が生成する産霊(ムスビ)が整う数霊で横のハタラキを示し、安定化をもたらす。それぞれのエネルギーがバランスよく配備されて整っていく。」とあります。 「六六六」はその「六」が三つも揃っているので、「神なる数霊。強烈なパワーを放つ。その力ゆえに今まで封印されてきた。神と人が一体となって動いていくため、人自身にもパワーが必要。天の眼と人の眼を、一つにして歩みなさい。」という意味になるようなのです。つまり神と人を結ぶ(神人合一の)働きを持ち、安定化をもたらします。いずれも神様がおっしゃっている通りです。「6(変化)」と「六(安定)」は真逆の意味で使われることもあるのです。
この第十五帖には「五六七→666(大峠)→六六六(大和の世)」に変化していくと載っていますので、今(2024年)が「大峠」の始まりなら、既に「五六七」の世は終わっている(通過している)と考えられます。2024年より3年前(2021年、2022年、2023年)に何があったかと言えば、やはり「新型コロナ騒動」しか思いあたりません。日本語なら「567」は「コロナ」とも呼べます。となると日本はあとしばらく(おそらく2年~3年)は「乱世」が続くと思われます。身魂を磨いて「大峠」を乗り越えてください。これを超えれば「六六六」の世が待っています。