日月の巻 第十帖 (一八三)
 ・・・・・ この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ・・・・・臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。  と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。十月二十五日、ひつ九のか三。

 

前回に記しましたように旧五月五日から礼拝の仕方が変わりますが、その他、身魂磨きや行い(口心行)も少しづつ変わっていく必要があります。これから後悔しないように神様の教え従って身魂磨きを継続していってください。

 

神示をよく理解し、広める事

 

富士の巻 第二帖

 か一の八マに立ちて、一(ひ)れ二(ふ)りて祓ひて呉れよ、ひつくの神に仕へている臣民、代る代るこの御役つとめて呉れよ。今は分かるまいなれど結構な御役ぞ。の神示(ふで)腹の中に入れて置いてくれと申すに、言ふ事きく臣民少ないが、今に後悔するのが、よく分りてゐるから神はくどう気つけて置くのぞ、読めば読むほど神徳あるぞ、どんな事でも分かる様にしてあるぞ、言ふこときかねば一度は種だけにして、根も葉も枯らして仕まうて、この世の大掃除せねばならんから、種のある内に気つけて居れど、気つかねば気の毒出来るぞ。今度の祭典(まつり)御苦労でありたぞ、神界では神々様 大変の御喜びぞ、雨の神、風の神殿ことに御喜びになりたぞ。此の大掃除一応やんだと安緒する。この時、富士(二二)鳴門がひっくり返るぞ、早やう改心して呉れよ。八月の十一日、 のひつくの

 

集団(まどゐ)を作り、みなで拝み合い、みなでまつろうこと

 

海の巻 第一帖

 海の巻 書きしらすぞ、五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、皆始めは結構であったが段々と時経るに従って役員が集まってワヤにいたしたのぢゃ、気の毒ぞ、神の名汚しておるぞ。大日月と現はれたら何かの事キビシクなって来て、建替の守護と建直しの守護に廻るから、その覚悟よいか。間違った心で信心すれば、信心せんより、も一つキビシクえらい事がみちはじめみつようになるぞ。今に此処の悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、悪口云われだしたら結構近づいたのざと申してあろ、悪口は悪の白旗ざぞ。飛んで来て上にとまってゐる小鳥、風吹く度にびくびくぢゃ、大嵐来ん前にねぐらに帰って下されよ、大嵐 目の前。此処は先づ苦労、その苦労に勝ちたら、己に克ちたら魂磨けるぞ、段々と楽になって嬉し嬉しとなるぞ、結構な仕組、知らしたら邪魔入るなり、知らさんので判らんなり、心でとりてくれよ、世界の民の会なせばなる、なさねば後悔ぞ。八月十三日、一二 。

 

梅の巻 第三帖

 皆の者 御苦労ぞ、「世界の民の会」つくれよ、人民 拝み合ふのざぞ。皆にまつろへと申してあろがなまどひつくれつくれ、皆おろがみ合ふのざぞ、まどひのしるしぞ、おろがみ合ふだけの集団(まどゐ)でよいぞ。理屈 悪ぢゃ、こんな事云はんでも判っておろが、神示読めよ読めよ。十月八日、ひつくの神しるす。

 

扶桑の巻 第一帖

 東は扶桑(二三)なり、日( )出づる秋(とき)は来にけり。・・・・・ これがイチラ(五千連)ぞ、五十連(イツラ)ぞ、判りたか、五十連 世に出るぞ。・・・・・

 

 神示では「世界の民の会」となっていますが、まだできていませんので、いまは「奥山」で「互いに神示を学んで拝み合って」ください。奥山ごとに数名以上の仲間ができれば「集団(まどゐ)」を作ってみるのもいいかもしれません。最終的には「世界の民の会」と言えるくらい世界の人を対象とした大きな集団にまとまっていけばよいと思うのですが、それはおそらく早くても2024年の秋以降(どんなに遅くても2039年まで)になるものと思われます

 日月神示ではありませんが、予知夢や予言の類で「今年から来年までに大災害が起きて、多くの日本人が亡くなる。」といった内容の動画を最近よく目にします。そのほかに戦争(台湾有事、中東戦争、ロシア・ウクライナ戦争、そこから広がって起きるWW3等)近々が起きそうだとか、2024年の秋以降に次のパンデミック(疫病)が起きそうだとかいった内容の動画もますます増えてきました。そして「その時は血が繋がっていようがいまいが、生き残った人達だけで互いに家族を作り協力し合わねばと生きていけない。」という予言も出始めています。

 確かに大災害、大戦争、大疫病等が起きて多くの人が亡くなればそうなって当然と思います(日月神示では何もかもが約3分の1になるとあります)。実際その通りになるかどうかは分かりませんが、もしそうなるとしたらこの時できる「新たな家族」が「集団(まどゐ)」となり、あるいは「集団(まどゐ)」を作り、それが「世界の民の会」のなる可能性があります

 当初はインターネット上の「奥山」が「集団(まどゐ)」あるいは世界の民の会になる可能性が高いと考えていましたが、間違っていたかもしれません。今の奥山開設のペースでは(今年秋からやって来るであろう)大峠までに約3000ヶ所の奥山開設はおそらく無理なのではないでしょうか!? ・・・・・私の知らないところで約3000ヶ所の「奥山」が既にできていれば話は別なのですが・・・・・。インターネット規制も20246月から始まっています。規制はどんどん厳しくなっていくものと思われます。いずれ「日月神示」に関する話もSNS、ブログ、動画等で規制がかかる可能性がでてきそうです。「日月神示」でも一時は神示の話ができなくなるような内容が記されています。今の世界情勢を見ていますと、多くの人が亡くなることが先に起きるような気がします。そして生き残った人のなかから「新しい家族」が生まれ、身魂磨きを行う「集団(まどゐ)」を作っていくことになるのではないでしょうか?そして「集団(まどゐ)」の一部が「奥山」になるのかも知れません。・・・・・そのようなシナリオも否定できなくなってきました・・・・・。今のインターネット上の「奥山」が社会混乱のなかでも残っていれば、それが「集団(まどゐ)」になる可能性は大きいとは思われますが、インターネットの規制次第のように思われます。当面の目標は世界の民の会」を結成することですが、それを成し遂げ世界に広く知らしめていくには五十連(おそらく神様からの使命に目覚めた日本人のこと)の出現が必要となってくることでしょう。そして世界に散在している「集団(まどゐ)」を訪ね歩き「日月神示」を語り伝えていくのではないでしょうか?ただしその時は「日月神示」の本やそのコピーも災害、戦争、疫病等の社会混乱で失っている可能性が高く、(最悪の場合を想定し)できれば今のうちにしっかりと腹のなかにいれておくのが良いように思われます。

 

地つ巻 第十四帖

 この道分りた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよどこに居りても御用はいくらでもあるのざぞ。神の御用と申して稲荷(いなり)下げや狐つきの真似はさせんぞよ。この道はきびしき行(みち)ざから楽な道なのぞ。上にも下(しも)にも花さく世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。カミは見通しでないとカミでないぞ、今のカミは見通しどころか目ふさいでゐるでないか。蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜あけんぞ。赤児になれよ、ごもく捨てよ、その日その時から顔まで変るのざぞ、神烈しく結構な世となりたぞ。九月二十三日、ひつくのか三。

 

後悔しないよう、あるいは後悔は要らぬような身魂磨きを行い、大峠を前向きにとらえて迎え入れ、のり越えていってください。