かごめかごめ

籠の中の鳥は

いついつ出やる 

夜明けの晩に

鶴と亀と(が)すべった (すべた)

後ろの正面だあれ?

 

日本人ならだれでも知っている子供の遊び歌の一つです。

 

これにはいくつかのバージョンがあり、ニュアンスも意味も異なるものがありますので、今回は以下の有名なバージョんはノータッチとします。

 

 

  • かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるつる滑った 鍋の鍋の底抜け 底抜いてたもれ

  • かごめかごめ 籠の中の鳥は いつもかつもお鳴きゃぁる(お鳴きやる) 八日の晩に 鶴と亀が滑ったとさ、ひと山 ふた山 み山 越えて ヤイトを すえて やれ 熱つ や(お灸を据えて、やれ熱や)

  • 籠目籠目 加護の中の鳥居は いついつ出会う 夜明けの番人 つるっと亀が滑った 後ろの少年だあれ?

  • かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出会う 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?

  • かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出会う 夜明けの番人 鶴と亀が滑った 後ろの少年だあれ?

 

さて意味ありげでなさそうなこの歌詞ですが、これを日月神示あるいは神社等にヒントになるものがないかどうか考えてみたいと思います。

 

この歌にはある特徴があり、質問とそれに答える形式となっています。

質問は「トリ」なるものが「いつ」、「かご」からでてくるのか?

であり、答えは

それは「夜明けの晩」にでてくるということです。


 

日月神示、神社・ユダヤ関連のなかから思い当たるのは

 

かごめかごめ → 籠目紋、 六芒星(イスラエル・ユダヤ)、籠神社(奥宮には国常立尊、天照大御神が祭られている)、封印されているもの(、十理、国常達尊、瀬織津姫、縄文時代以前の古き神々、国津神、出雲神)に対する呼びかけ

かご → 封印しているもの、とじこめているもの、結界、 イスラエル・ユダヤ

鳥 → 十理、012345678910、鳴門・富士の仕組み、真理(日月神示でいうところのミチ)あるいはそれを教え諭す者、救世主、国常立尊、 瀬織津姫


 

鶴 → 丹頂鶴(つまり日本)、JALのマーク、ヒツグの民

亀 →  六芒星(つまりイスラエル・ユダヤ)、ミツグの民

すべった (すべた)→ 転んだ、失敗した、統一した、合体した、調和した

夜明け → ミロクの世、ユダヤ教のいう千年王国・天国

後ろの正面 → 「表」と「裏」といった対称的な物事 「後ろを向いた時に正面に居る人は誰?」との意味。転じて、逆の存在影の指揮者・指導者


 

これくらいでしょうか?

このキーワードを組み合わせて考えていくと、以下のような解釈が成立します。

、イスラエル、イスラエルよ、お前たちの望んでいる救世主はいつ出出現するのであろうか?それは 夜明けの晩に出てくる、そのとき日本とイスラエルが統一している、あるいは日本とイスラエルという国が一時的に破綻している時だ。

封印されし正眞神(あるいは十理)よ、あなたがたははいつ出現なされるのであろうか?それは 夜明けの晩に出てくる、そのとき日本とイスラエルが統一している、あるいは日本とイスラエルという国が一時的に破綻している時だ。


 

ミツグの民からは①が、日月神示を信じている方あるいはヒツグの民からは②がしっくりくるかと思われます。

「夜明けの晩」とはなんでしょうか?「夜明け」と「晩」とは対称的な事象であり、同時刻には一般的には成り立ちません。成立するとすればそれはポールシフトで地軸が一瞬で180°傾き、北と南が置き換わることくらいでしょうか?ポールシフトがおきれば、その瞬間から「夜明け」は「晩」に、「晩」は「夜明け」になります。太陽は西から上り、東に沈みます。明けの明星は宵の明星となり、宵の明星は明けの明星となります。絶対に無いとは言い切れませんが、その可能性はかなり低いと思われます。

日月神示には

松の巻き 第七帖
 偉い人 皆 俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近くなったぞ。夜明けたら何もかもはっきりするぞ。夜明け前は闇より暗いぞ、慌てるでないぞ。神の国一度負けた様になって、終ひには勝ち、また負けた様になって勝つのざぞ。腹の中のゴモク一度に引張り出してもならぬし、出さねば間に合わんし、いよいよ荒事にかかるから そのつもりで覚悟よいか。わからん人民 退いて邪魔せずに見物してござれよ。六月二十三日、アメのひつ九の  

とあります。

「夜明けの晩」とは「夜明け」の「晩」と考えれば、つまり「」が省略されたと考えれば、「晩」とは、戦争前夜、経済崩壊前夜、大量失業前夜、謎の病死・大量死亡前夜、どんどん暗くなっていく(闇夜になっていく)今の時代をさしているのように思われます。

イスラエルは今後、グレイター・イスラエルに向けて戦争を再開することを宣言しました。イランは核濃縮(核爆弾製造)に成功したと暗に宣言しました。ロシア、アメリカ、中国の覇権を巡る争いは収まるどころか拡大していく一方です。エゼキルル戦争(アルマゲドン)が起きる前夜(暗黒手前の晩)の状態と言っても過言ではありません。

おそらく本格的なWW3や金融破綻が始まる前に、イスラエルと日本が同盟を結ぶのか?あるいは深い繋がりがあることが証明されるのか?あるいはいったん両国が破綻したかのような状態になるのではないでしょうか?それからしばらくしてミロクの世が訪れるのでしょうが、その前にもう一つ壁が立ちはだかります。

「後ろの正面だれという」最後の言葉です。

子供のお遊びで「鬼」の交代、あるいは「閉じ込め(封印)」役からから解放される為に単に付け加えられた行為とも考えられますが、それなりに意味があるように思われます。

「かごめ」の唄には2つの質問があります。最初の質問は封印が解かれるのは「いつ」であり、最後の質問は封印をとくのは「だれ」あるいは解く方法は「何」と問いかけているようの思えます。封印は時間がたてば自然に解かれるものもありますが、たいていは封印を解く儀式や言葉・呪文の類等が必要になってきます。その封印を解く方法を臣民は分かっているのか?と問うているように思えます。封印を解く方法?それは「後ろの正面」の正体が分かることです。

では誰の後ろでしょうか?子供の遊びでは、この「誰」とは「鬼」のことをさします。「鬼」とは「御二(おんに)の神 」のことです。要するに霊界と現界を立て別けるという二のみ働きをされた神様のことで国万造主大神様(国常立尊)のことです。正神の神の御二の神を鬼として、それから水の時代を進めたきた副神を福として「鬼は外、福は内」と言って、入り豆をまく。これは、「炒り豆に花が咲くとき出てこい」ということで、何を意味するのかというと、「出てくるな」という意味であり、正神の神々の神威を封鎖する呪術です。つまり「封印」とは「かご」のことで、「国常立尊」を封印している「結界」のことなのです。それを分かっているのか?問うているのです。

では「国常立尊」の「後ろの正面」とはなんでしょうか?「国常立尊」は東北(丑寅)の方角に「封印」されました。となれば「後ろの正面」は「未猿」の方角です。「豊雲野尊」が封印された方角です。そこに封印をとく何かがあるのかもしれません。あるいは「国常立尊」「豊雲野尊」の両柱の神様を祭ることが必要なのかもしれません。(丑寅)を2021年~2022年とすれば、(未申)は2027年~2028年になります。2021年~2022年はある疫病がはやった年でもあります。2027年~2028年になにか大きなイベント、例えば別の疫病や災難(地震、大雨、噴火、隕石)などが起きるのかもしれません。

「かごめ」の唄の解釈は千差万別であり、人の数だけ答えがあります。

皆様も自分なりの答えを考えてみてください。