2015年を振り返る ②

東宝版 ミュージカル『エリザベート』

エリザベート 花總まりさん編の感想ですメモ

ここからは再び個人的な意見です。ご了承ください m(u_u)m


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花總まりさんといえば…

今から19年前に初めてエリザベートを演じたオリジナルキャスト

まだ宝塚歌劇だけで上演していた頃

1996年に初演雪組を演じ

その後、1998年に再演宙組でも演じました。

その後、作品は宝塚歌劇だけでなく、東宝でも上演される事になり

小池修一郎先生の宝塚を越えた外部公演進出の一歩を後押しし

創設期に作品を定着させた功労者ともいえるでしょう。


しかし、宝塚時代は花總さんご本人的には非常に役作りに悩まれ

特に再演で演じたときに上手く演じられなかったそうです。

作品の興行は大成功したけど、花總さんにとっては大挫折した役。

レジェントとして持ち上げられる事に一番戸惑われていた事でしょう

そんな彼女が時を経て東宝版に登板する。

はたしてどんな、エリザベートになるのかな…という事でしたが、、、


有無を言わせぬオリジナルキャスト的な貫禄はありません。

むしろ、初めて役を演じる人のようなエリザベートでした。

元男役さんの座長的なエリザベートを期待したら拍子抜けします。

しかし、宝塚版でもない、従来の東宝版でもない

花總さんらしい、オリジナルなエリザベートでした。


全体は ほぼ演出がついてないのではないか、と思いました。

女官は遠くから眺めるだけ

ゾフィはゾフィのサイドストーリーを演じているし

トートとは時に惹かれ反発し

フランツはエリザベートを愛している

それぞれのスタンスでエリザベートに挑むという空気でした。

座長的に引っ張る感じではないけど

中心には しっかりエリザベートがいる。

いろいろな要素が心地良く絡みあって全体的な熱量が高く

結果的に見応えがあったな~という高い満足度がありました。


そんな花總さんのエリザベートですが

まずは基本に立ち返り、ミュージカルとして歌を改良してきました。

初日を見たときは、今までと違う力強い歌声にビックリしましたし

このまま3ヶ月もつのだろうか、と正直思いました。

もちろん波はありますが、ほぼほぼ調子を落とすことなく

きわめて安定したコンディションで公演を乗り切りました。


花總さんが歌は上手くない

でも伝え方が上手い人だと思っていました。

歌の中で伝えたい部分にインパクトをもたせる歌い方。

でも、エリザベートでは歌全体を同じ調子でキッチリ伝えようという

ミュージカルらしい歌い方に改善してきていました。

時々、従来の歌い方をしても効果的に感じるようになりました。

もちろん完璧ではないし、特別に上手いわけではありません。

しかし、今まで以上に生命力を感じる歌声だと思いました。

それがエリザベートとしての生命力にも感じられて

新しいエリザベート像として、印象が残りました。


ミュージカルのファンの方には おおむね好評であったようですが

宝塚歌劇と比べて見る人には 賛否両論だったようです。

東宝版とは、宝塚版とは、とイメージがあって

「これじゃない感」があるのに、評価が高い事に違和感をもたれ

役作りだけでなく、歌唱の努力と安定まで完成品として揶揄されて

なんだかお気の毒になってしまいました。


どんな事があっても花總さんは花總さんなので

宝塚版、東宝版、関係なく自分が感じる役作りを貫きブレがなく

それが宝塚版の延長と思う人もあったかもしれませんが

エリザベート側から見たエリザベートの人生として

理解が深まり新しく作品の魅力を知る事になりました。


エリザベートとトートの関係が面白かったです。

エリザベートの一代記だけでなく

そこに自分の内面を具現化したトートがつねに現れる。


井上芳雄トートとは、刺激しあい高めあう関係

城田優トートとは、内面を具現化した表裏一体のような関係


ウィーン版エリザベートを見た時

トートはエリザベートに貼り付くように その人生に寄り添い

夫:フランツの存在感を感じたのですが

花總エリザベート、城田トート、田代フランツの組み合わせは

ウィーン版で感じたバランスに近いイメージがありました。


特別に浮いた女の子でもなく

エリザベートが嫁いだせいで家が滅んだようには見えません。

人それぞれ気持ちがスレ違い、結果的に滅んだように見えました。


自由に憧れた ありふれた女性が結婚して

価値観の違う環境の中で自分なりに奮闘するも上手くいかず

そして本当の自由を求めさすらう、という

エリザベートを愚かな人としてでなく

幸せを求めた女性の1人として

その中で苦悩する人生を丹念に演じているように見えました。


宝塚時代は長らくトップ娘役として君臨したイメージがありますが

男役が薔薇なら、娘役は かすみ草

引き立て役である、と公言するスターもいます。

そんなポジションを長らくつとめ

退団後は舞台に立たない時を経て再び舞台に立っている。


彼女独特の自閉的な闇がトートを呼び寄せているようにも感じ

トートがエリザベートの内面を具現化した存在として納得できました。


まずは歌をちゃんと届けようという意気込みと

かつて挫折した役を年の離れた若手キャストと作るという事で

とてもハイテンションでもあったのか

いろんな場面で とにかく泣いているのが印象的でした。

見る度に泣いていたので (^_^;)

彼女は涙や汗を流し、体内に残るウミをおしだし

生まれ変わろうとしているのではと、思う事にしました(^▽^;)

8月に入った頃から、涙は落ち着き

ある日、ルドルフの葬儀の後、奇妙な笑い声を上げる日があって

心に潜む本性、エゴイストな面を垣間見るようで

心からゾッとしました。


ラストシーンで黒衣を脱ぎ捨てた時は

シガラミから解放され新しいスタートラインに立ったようにも見えて

ようやく本当に1本立ちできだんたな~と感じました。


花總さんの事は星組に所属していた頃から知ってますが

最初の印象は娘役らしくない

演劇少女のように思えて、異彩を放っていました。

普段は地味で自閉的な人が

演じる役を通して輝き、自己表現しているような印象でした。


トップ娘役になった時も賛否両論あったし

初演「エリザベート」を演じた時は

娘役がタイトルロールを演じる事に凄く批判がありました。

針のムシロでしたね。

よ~く覚えています(;´▽`A``

その後、宝塚時代の後半の頃に久しぶりに映像で見たら

かつての演劇少女が すっかり娘役らしくなっていて

引き立て役に準じる姿にビックリしていたのです(^_^;)


元々は無遠慮で思い切りのよい人だと思うので

だから今の単体での活躍の方が違和感ないです。

その猪突猛進さゆえ、最高の光と影を体験されましたが

ようやく諸々から解放されて1本立ちできたのねと

3ヶ月の公演を最後まで見て思いました。


元々はメモリアル的な要素でのキャスティングだと思いますが

演出の意図を理解し的確に表現されていたし

結果的に多くの人に支持され、評判が良かった。


一路さんのファンで、子供だった私が歳をとるように(笑)

花總さんも年月を重ねていらっしゃいます。

しかしながら、、、

目の下のクマや腕の太さやアザ、顔のシワに至るまで

オペラグラスで顔をガン見しないと分からない事なのですが

ツイッターやブログの感想において

こんなに突っ込まれる人は初めて見ました (・_・;)

元娘役としての宿命なのでしょうか。

いつまでも若さを切り取った映像と比較されて

なんだか気の毒になってしまいましたσ(^_^;)


個人的にはお芝居こそが真骨頂だと思うので

ストレートプレイにも向いてると思います。

相手の年齢関係なしに素敵な関係を築くことができるからこそ

同世代とだったらもっと輝くと思うし

遠慮なくやってほしいなと思ったりします。


来年は東宝と宝塚歌劇の両方でエリザベートが上演されます。

20周年の記念の年だし、作品が盛り上がる事を願っています。