その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?
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今日はワタシ、お出かけ前のダンナさんとケンカしました
喧嘩している時は、感情をコントロールできなくて、感情のままに心情を言葉に出してしまいますが・・・
喧嘩した後にいつも、ふと我に返って、結婚式での誓いの言葉を思い出します。
※私たちの結婚式は、教会式でした。
もちろん、ダンナさんはYesと答えました。
続いて私も、Yesと答えました。
正直、その時は何も疑問を感じず、当たり前のようにそう答えていました。
けど、今になってダンナさんとちょっと険悪なムードになったり、ケンカをするたびに、そのときに「Yes」と答えた自分の言葉の重みについて、後からあれこれ考えさせられます。。。
ダンナさんのことを愛してる?
ダンナさんのことを敬ってる?
ダンナさんを慰めてる?
ダンナさんを助けてる?
ダンナさんに対し、真心を以って尽くしてる?
ケンカをしたとき、どっちが悪い・正しいかの認識でお互い折り合う事ができて、悪いと思った方が素直に謝れればいいけど、そもそもそうじゃないからケンカになる。
だからケンカは一時的な気持の発散と捉えて、その後、出来るだけ早く、そしてちゃんと仲直りすることが重要なわけで。
その時に、結婚の誓いの言葉を思い出すと、ケンカの原因とが別に、結婚生活を継続する上での自分の至らない部分が見えてくる。
ケンカをしたとき、ダンナさんに反省してもらいたいと考えてた自分。
明らかに上から目線でした・・・
だけど、
そもそもケンカで気持ちをぶつけたくなるのは、もっとダンナさんとうまくやっていきたい気持ちがある証拠
なのに、ダンナさんを傷付けたり、上から発言したり、突き放すようなことばかり言ったら、ダンナさんの心が私から離れていくだけじゃないかーーー
・・・はぁぁ 自己嫌悪MAX。
さておき、ネットを検索してみると、
結婚式を挙げたカップルの方が、
離婚率は低い
という、データが出てきます。
誓いの言葉、というより結婚の儀式を挙げることで、気持ちも引き締まるし、結婚したことへの責任が自分の中に生まれるからなんだろうなぁ。
今日はダンナさんが帰ってきたら、ちゃんと笑顔で出迎えてあげよう