わたしはわたしと一緒になる。 | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

実家の札幌に滞在して

昨日大阪に帰ってきました。


先日

こんなブログを書きましたが

わたしは

札幌にいた頃の自分が

好きでは無かった。


特に小さい頃の自分は

大嫌い。


学校などの場でもどこでも

自己主張することが出来ず

しゃべることもなく

同級生と一緒にいるのが

とてもしんどかった。


そのせいか

クラス中に

存在を無視される、

という経験を2回している。


札幌に帰ってきて

学校のそばを通ったりすると

それを思い出した。


被害者意識はそこまでなく

特に感情が

乱されることはないけど。


その過去の出来事について

今のわたしは


わたしが

自分らしくなかったから

起きたことで

そのときのわたしに

必要なことだったから

起きたと受け止めてるけど


今のわたしと

あまり結びつけることは

なかった。


でも昨日。


小さい頃の記憶を

母と話していたら

同級生に無視されたことって

確かに自分が選んで望んで

引き起こしていたことだったと

急に思ったの。


わたしの学生時代

その当時は


友達がこうだから

同じようにしたり


目立ったり

違うことをすると嫌われるから

右へ倣え、的な風潮が

とても強くて

今もそうかもしれないけど


わたしも 

空氣だけは

敏感に読めちゃう方なんで

大人しくしていたけど


ほんとは

右へ倣えが

とてもとても!

嫌だったのだ。


とにかく

なんでもかんでも

友達に合わせるのが嫌だった。


トイレに行くのも一緒だとか

常に常に一緒一緒っていうのが

違和感でしかなく


そんなの

意味ないのにって

どこかでは思ってた。


でも

その当時のわたしは


友達いないのは

自分には

何も無いからだと思ってたし


友達いないのに

さらに

みんなと違うことをしたら

ほんとに自分が

消えてしまうんじゃないかと

思ったし


何より

自分が思うその通りに

行動することが

出来なかった。


だから

「いい子」でいる選択をした。


かと言って

「いい子」も

ウザがられるし

嫌だったので

おとなしく

目立たないようにすることが

一番いいように思えた。


そんな在り方で

生きていた結果


同級生から

話しかけられることがなかったし

わたしも話しかけなかったり

無視されたりとかあったけど


そりゃそうなるよね、と

はじめて納得した。


だって

かくいうわたしも

同級生のやることが

嫌だなと思って

無視してたんだから。


自分のしたことは

自分に返ってくる法則。


生き方としては

非常に不器用で


だけど

一生懸命

周りの状況をうかがいながら

精一杯

わたしらしく

生きようとしてたのだと思えて


初めて


小さい頃のわたしと

一体になれたように思えた。


そんなことに

思いを馳せられた

今回の帰省でした。