痛かったけど
わたしにとって
必要な学びでは
ありました。
その方が
辞められたという話を
聞いて
そっか。
ついにかぁと思いました。
事情も何も知らないし
わたしには
かかわりないことだけど
今
その方とのことを
思い出すと
キツイ言動をされているのは
わたしなんだけど
実は彼女自身が
一番彼女自身に
刃を向けていたのではないかと。
とにかく痛いのよね。
その痛みは
自分が自分らしく
生きられない、
という痛み。
もちろん
無自覚でしょうけれどね。
自分ごとに
他人を巻き込んじゃうあたり
タチが悪いとは思うけど
学びのために
必要な人
だったんだなぁと思う。
そういう
反面教師みたいな人が
いるからこそ
自分を
振り返ることができる。
だから
必要じゃない人なんて
居ないのよね。
わたしはそのとき
相手がどうとかではなく
自分の感じたことを
勇氣を持って伝えることを
学んだのです。
あれから
半年くらい経つけど
少しずつ少しずつ
自分の感じていることを
伝えることを
しているかな。
こういうときは
伝える努力を
もっとした方がいいかも!と
ハッと
氣づかされることは
ありますけどね。
どっちかというと
わたしは
わたしの正義を
押し付ける時代が長すぎて
伝える。
話し合う。
という
やり方を知らなかった。
わたしだけに
限らないと思うけど
日本人って
直感にすぐれているだけに
それが裏目に出て
言わなくても伝わる。
伝えなくても
わかってくれるだろう。
という思いが
強すぎる氣がする。
その思いがあると
伝える努力を怠りがち。
てか。
伝え方を知らないのだ。
伝え方を知らないと
いざ伝えようとすると
爆発して
言い過ぎたりしがち。
話を聞かない、
話を聞けない人も
多いしね。
わたしもそうだから
よくわかる![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
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自覚してるから
氣をつけてるけどね
日本人は
他の民族と比べ
自分と繋がりやすい遺伝子を
持っていると思うけど
それを発動させてはない。
むしろ
自己肯定感の低さ
自己否定
無価値感
そっちが
発動してしまってる。
もったいないよねぇ。
だからね。
人はどうあれ
自分からはじめよう。