10年前の4月12日、山の麓で癒された出来事 | フィールタイム☆ 人生はやっぱり楽しいし面白い♫

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紆余曲折色々あった60年。苦難に陥っても諦めないで、疑わないで、腐らないでいたら、いつの間にか涙の日々が笑顔の日々に変わってきた。そんな楽しくも時にホロッとする人生を綴ってます。思い出と現在、そして輝く未来に向けて…

10年前の今日、思い出に残る出来事がありました。

それは深い悲しみと共に訪れた出来事でしたが

10年経った今、懐かしく思い出されます。



2014年の4月10日の明け方、

家族の一員だった柴犬マルが虹の橋を渡りました。

安楽死という形で…



最期はいつも通ってた動物病院ではなく

大阪市内にあるペット救急病院でした。

夜中に高速道路を使って向かいました。

その時担当してくださった先生が

懸命に治療を続けてくださったこと、覚えています。

永遠の眠りについたマルをきれいにシャンプーしてくれて、

まるで生きてる様なツヤツヤの毛並みに整えてくれました。

苦しんだ姿とは思えないほど、安らかな顔で、

ただスヤスヤと眠っているだけの様に見えました。



マルが大好きなペット布団を持って行ってたので

寝かせてあげて車で家に帰って来ました。

11日は1日中家でゆっくり過ごし、

2日後の4月12日、

大阪南部の山の麓にある動物霊園に向かいました。



桜の花がきれいに咲いてました。

そこで最後の別れをして

マルの体が焼却されるのを外で待ってる間、

一緒に行っていた娘が

「お母さん、後ろ」と突然私に言ったのです。

娘に言われて後ろを向くと

一匹の猫ちゃんが私にくっついて寝てました!



その時の私は悲しくて立っている力も出なくて

地面にしゃがみ込んでいたのですが、

そんな私の後ろにいつの間にか猫ちゃんが来てました。

その猫ちゃん、

私の後ろにピタッとひっついてるんです!

全然気づかなくて、

でもその姿を見たとき

まるで慰めにきてくれた様に感じました。



それで猫ちゃんに

「慰めにきてくれたの?ありがとね」

と声をかけたらすーっと離れて行ったんです。



なんだかそれが不思議で、

霊園の園主さん達がいらっしゃる事務所に行って

その話をすると、


「そうなんですよ、

私達が飼ってる猫ではないんですけどね

山にいる猫が時々下に降りてきては

ペットを亡くした飼い主さんが悲しそうにしていると

近づいて行くんです」

と仰られました。



その猫ちゃんは山に住んでる猫ちゃんだそうで、

時々下に降りてきては

園主さん達から食べ物をもらったり

そして悲しんでいる人たちの側に

そっと近づいて行く様です。

その行動がほんとに慰めに行ってる様で、

不思議なんですよと話されました。



その時の写真を眺めていると

本当にそうなんじゃないか、と思ってきます。



私はあの猫ちゃんたち(一匹ではなさそう。。)

精霊のようなお役目をしているんじゃないかと

思うんですよね。

で、時折ふっと人間界に降りてきて

悲しそうな人を見つけては慰めてくれる。。

そのタイミングというか、

さりげなさが本当に不思議でした。



10年前の今日、体験した出来事でした。

マルの骨は家の庭に埋めたので

あれからもうあの場所へは行ってないんですが、

懐かしく思い出しました。



辛かったマルの最後、すこしだけ思い返すと、

あの頃のマルは14歳半で足腰も大分弱ってました。

食べ物はほとんど口にしなくなり

日中、ウトウトと寝ていることが多くなってたんです。

死期が近づいてたのかな〜って。



でもそんなこと、その時ははっきり分からなかったし、

肝臓の数値が悪かったことから、

このままではどんどん体力が落ちて弱っていきますよ、

と言われて、

月に何度かスポイトに流動栄養剤を入れて

それを無理やり口から入れる治療がされました。



でも結果、マルの体にはそれが負担だったのか、

最後の治療後、下血し始めました。

診察終了時間だったので診てもらうことが出来なくて、

でも下血はひどくなる一方だし

夫が運転して、私がマルを抱っこして

夜中に高速道路を車で走り救急病院へと向かいました。

救急病院の先生も懸命に治療をしてくれたけど

回復の見込みはなく、苦しませるだけになるので

明け方になった頃、安楽死を選択しました。



今思うと、

あの頃のマルの体にはもう栄養は必要なかったんだろうな。

食べなくなってはいたけど身体が苦しそうではなかったし、

陽の当たる窓辺で気持ち良さそうに寝てました。

スポイトで無理に栄養摂取させなくてもいいんじゃないかと、

そのほうがかえって苦しいんじゃないかと、

私はそう思ってたのに、先生にはそれが言えなかったのです。

言えてたら、

もっと楽に自然に逝かせてあげられたかもしれない。

判断がつきにくいことでしたが、

そんな後悔の思いで霊園でうずくまってました。



そこにあの猫ちゃんが来てくれたんです。

良いように思い過ぎかもしれないけれど、

元気だしなよ⭐️と言ってくれてるようでした。



あれから10年経ったんですね。

年月の経つのは早い!

あの時の気持ちは今では完全に癒えてます。

マルも元気に空の上を駆け回ってることでしょう。

飼い主に愛された動物は

飼い主さんが来るまで向こうの世界で待っててくれる、

という話を本で読んだことがあります。

私はそれを期待しているのですが、

待っててくれてるかな?



そしてあの猫ちゃん、

まだいるかな?

また誰か、悲しみに沈んでいる人が来たら、

そっと近づいて行って、癒してあげてるのかな?