頑張る人生をやめる | 神戸 おーぷん・はーとから無限の可能性へ

神戸 おーぷん・はーとから無限の可能性へ

神戸三宮にて、自然療法サロン おーぷん・はーと主宰。エネルギーワーク・DRT整体・
黄土よもぎ蒸し・クレイセラピーなど各種自然療法で、こころとからだ・たましいのケアをしています。

日々の暮らしの中で、
成長してくる過程の中で、

頑張って生きるのが、当たり前だと思っていた。

学校に行っている時代は、
本当に頑張って生きていた。

わたしは、頑張ることこそが美徳と
思っている母に育てられたので、
いっつも頑張って勉強すること、
良い子でいること、社会に適応すること、

それが当たり前の価値観として、大人になった。

けれど、どんなに頑張っても、
どんなに適応したとしても、そんな自分が
幸せだったかと振り返ったら、うなずくことができない。

何のために頑張っていたのか?
何かに、誰かに認められるために頑張っていたのか。

何故、誰かもわからないものに認められる必要が
あったのか~? 何に認められたいのか?


息子を育てる中で、
わたしは何度もそういった漠然とした
違和感と向き合っていった。

彼を育てる中で、何度も何度も出てきた
「社会適応できるかできないか~」

社会適応の基準がどこにあるのか、
平均的な発達像がどこにあるのか、

個性の範囲内とか、
発達障害の枠とか、

だれが決めて、その中にはまるはまらないが
価値基準になったりする、わかりにく~い部分。

結局、
自分がどこにフォーカス 意識するかで、
価値観って大きく変わるんだ~って知った時、
わたしが当たり前だって思ってきた価値観は、
大きな音を立てて崩れていった。

自分が長い時間かけて創り上げてきた
価値観が崩れ去った時、一気に虚無感が
襲って来たのを覚えている。

わたしが、それが正しい、こうあるのがいい。
こうしたい、こうしていく、などと思うそんな全てが
実は、どうでもいいことだったのかもしれない。

じゃあ、わたしが握りしめていたものたちは
何だったのだろうか~
そう思うと、虚しくて虚しくて仕方なかった。

でも、一旦崩れ去ってみると、
どれだけ自分が楽で自由なのかを知った。

どんな形もOK。
自分のことも、ひとのことも認めて
受けとめる幅が大きくなっていった。
そして、頑張るのではなく楽しんでやっていると
幸せなんだということに気づいていった。


今でも、時々とってもしんどくなる時がある。
好きなことしていても、なんか楽しめない時がある。

そんな時ってね、
頑張る自分を握りしめていることに気づく。

もちろん、頑張らないとできないこともある。
でも、頑張りながら楽しい時は、
自分のためにやっている時。

頑張ってすごくしんどい時は、
誰かに何かに認められたくてやっている時。
しないといけないと、自分で決めてやっている時。

そんな時って、なかなかうまくいかなかったりする。

自分で自分を追い込んでしまい、
自分でも気付かないうちに、
頑張るべき自分のサイクルにはまっていく。


長い間、わたしの中にあった思考の癖は
完璧になくなってはくれないけど、

もう、頑張る人生はやめる。
楽に幸せな人生を選んで生きていきたい。

握りしめてきた価値観を、これからも
この手から手放して生きていこう。