しっかりしている私でいなければいけない、とずっと思っていた。

何でそう思うようになったんだろう、と考えた。

親に怒られたからだ。怒ることの他に、怒鳴られる、イヤミを言われる。言葉と暴力が来る。親の溜まった感情をそこで発散されている気にもなっていたのかもしれない。


私が行動するときの、ベースになっている考え方が「怒られないように」になってて、どうしても急かされているような、落ち着かない状態だったと思う。


親に怒られないように、期待通りに、もしくはそれ以上に結果を出そうと先回りして努力してきたからだ。


努力するから結果も出て、それで一時的に満足するんだけど、でもまだ何か足りないというか、息切れするような感じ。


失敗をしてはいけないという緊張感もあったと思う。だから、どんどん完璧主義の自分が出来上がっていった。


すごく辛いことだ。ゴールは見えないし。
自分のペースで進めてない。


でも私は、家庭が大変な状況だから、せめて迷惑や心配をかけないように行動しなければいけない、さらには役に立たなければと思ったのだろう。
それだけ私は親のことを気にかけていたんだと思う。


ただ私は、しっかりしていなくても、失敗したとしても「大丈夫だよ」と言って欲しかった。受け止めてもらって、安心したかっただけ。


「大丈夫、大丈夫」と親は言ってくれていたと思うんだけど、何となく(自分には関係ないけど…)という見放されたような感じもしていた。


それは、ほっといても大丈夫という意味だったのかな?
もしそうなら、やっぱり悲しい。
先回りして行動できる私になれたとしても。私を気にかけてほしい、みてほしい、かまってほしい、いろいろ甘えたい気持ちがある。親なりに愛してくれていたとしても、十分に感じきれなかった私がいるから。


こんな親なんて思っても、やっぱりそんな親に愛されたいと思っていた自分がいることに気づいた。