新しい年になって、一週間が過ぎました・・・

 一週間が過ぎたにも関わらず、能登地震の災害はいまだに広がり続けています。地震がいまだに収まることなく、揺れ続けています。これがいつ収まるかの保証も無く、倒壊した家屋の修復も寸断された道路の影響で、重機の乗り入れ等が思うように進まず、復興の妨げになっています。水不足、食料不足、に加えて電気の不通等々いろいろな障害が重なって震災を受けた地域の人々の生活を妨げています。

 日本という国は、何処にいても地震という災害とは隣り合わせにいるようなもので、しかも、台風や大雨等の災害のように、予測が不可能なもので、いつ突然に襲われるかが分からないものなのです。

 私自身、阪神大震災を経験しましたが、本当に突然の出来事であり、しかもとんでもない大災害でした。目の前の高速道路が倒壊して、昨日見た光景とは全く異なる異常な事態が起こっていました。私は西宮でまだ被害はそれほど大きくはなかったのですが、翌日神戸に向かって、そこで見たものは想像を絶するものばかりでした。

 三宮の中心街で震災の後片付けをしている最中に、近くの10階建てのビルが今まさに倒壊するところを目撃したり、百貨店の中の整理をしているときに、すぐ目の前にあったエスカレータが上から落ちてきたりと、何度も命の危険を体験してきました。

 震災で数千人の命が奪われたと報道されましたが、その後の復旧に携わった工事関係者は、それと同等の人数の命を奪ったのではないかと思いました。それほどに、震災の復旧に関する工事は危険を伴っていて、壊れかけている建物を完全に壊してしまうという作業であって、複数の人間があらゆるところで作業をしていて、壁を倒す時でも、周りに人がいないことを確認して倒すようにしなければならないのに、急いでいるために確認を怠って倒してしまうと、その向こう側に作業員が何人もいたりするのです。実際に私自身もそんな場面に何度も遭遇してきました。今から考えると、生き残って、今ここでブログを書いていることが、不思議なぐらいです。

  

 さて、とにかく今は、生きているのですから、後ろ向きな話は止めて前を向いて明るい未来に向けての話をすることにしましょう。

 明後日からは、小中学校や職場等通常の日常生活が始まります。

 今年は、数字からは少し遠ざかって、新たなテーマを見つけてブログを継続していきたいと思っています。

 どうぞ、よろしくお願いします。