こんにちは!

 

 

昨日は、こんな見晴らしのところに行ってきました。

篠ノ井にある川柳将軍塚古墳から森将軍塚古墳方面を見ています。

古事記の会の勉強会のフィールドワークで来ました。

 

 

城ブームの次は、古墳ブームが来るかも?!

そのお話は、機会があれば書こうと思ってます(笑)

 

 

 

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さて、今日は自己肯定感について最近のわたしの考察を書こうと思います。

 

 

 

自己肯定感、

あなたは高いですか?低いですか?

 

 

先日、車を運転しているときに

「自己肯定感が低くて何が悪い!」

って唐突に頭の中で響いたんです。

 

 

自分でもこんな言葉が飛び出すなんて、

一瞬、よく分からなかったです。

 

 

というのも、自分でいうのも何なんですが、

私はずっと自己肯定感が低いから

自己肯定感を高くするにはどうしたらいいんだろう・・・

と取り組んでいたからです。

 

 

自己肯定感が低いから、何をやってもどこか自信がないというか。

 

 

何かやったり、言ったりした後で、

「今の大丈夫だったかな?」

なんて考えたり、心配になったり・・・

 

 

自信がないのは、

やろうとしていることをやっていないからだから、

何か1つでも決めたことをやり通したらいいんじゃないか、とか、

 

 

自己肯定感が低いことは分かっていたので、

つい出てしまう自分にダメ出しに気が付いたときは、

自分を励ましたり、言い換えをしたりしてました。

 

 

これって、結局自分の中で、

 

 

自己肯定感低い = ダメ

 

 

って思ってたってことなんですよね。

やっぱり、そう思っていたんですよね・・・

 

 

 

そもそも自己肯定感って言葉は、いつから使われるようになったんだろう・・・

 

 

wikiさんで調べてみたら、

1994年に高垣忠一郎さんという臨床心理学者が提唱し始めたみたいです。

 

 

バブル期の頃ですよね。

そのころはまだ、学生でしたが、

海外のカルチャーとかが今まで以上に注目されて流行していったように思います。

海外カルチャーがかっこいい、日本ダサい的な風潮になってきたような。

そうなってきたのって、バブルぐらいからんじゃないかのかな。

 

 

わたしは、大人になって心理の勉強を始めてからこの言葉を知ったわけですが、

恐らく、そのころから「自己肯定感が低い」ことに囚われていたのかもしれません。

 

 

そもそも、よく考えたら分かることだけど、

自己肯定感が高いとか、低い、って誰がどう決めたの?

って話でして、

誰かと比べないと、高い・低いってならないわけじゃないですか。

 

 

わたしは一体誰と比べて低いと思っていたんだろう・・・ってことです。

誰とも比べられないことなのに、

自分が決めた(それも明確ではない)基準に当てはめて

そうだと思い込んでいたわけです。

 

 

で、ずっとその呪縛の中にあったんなんて、

自分で自分を呪縛していたなんて、って

それに気が付いて、ひょえー、ってなりました。

 

 

もちろん、誰かと比べるのは良くないことや、

言葉に囚われない、なんてことも分かっていて、

自分でもしないようにしていたのに、

なぜ、この言葉については気が付かなかったのか、

そこが衝撃でした。

 

 

もしかしたら、自分を変えたいと思っていた中で、

自分の状況を表現するのにぴったりの言葉だったから、

何の抵抗もなくすんなり受け入れちゃったのかな。

 

 

自分を諭したり、戒めたりするようなワードは

案外、知らずに囚われているかもしれない・・・

 

 

 

 

それにです。

そもそも自己肯定感が低いことは悪いことなのか、

ってことも思ったんです。

 

 

心理学の言葉って、

研究が先行しているアメリカとかから来たものを日本語に訳してるものが多いと思うのですが、それって海外から来た指標というか、感じ方なわけじゃないですか。

日本人の感性とは違うんじゃないか、と思うんです。

 

 

意見を言うときも、

海外では、自己主張することが良しとされますが、

日本では、強い自己主張はあまりいい顔されません。

自己主張をする前に、同調したり、周りの気持ちを汲んだり。

 

 

外国人との関係が少なく日本人だけだったときは、

自己主張しなくても暗黙の了解みたいなのがあったり、

みんな空気が読めるから、問題なかったのかも。

 

 

それで、海外から入ってきた視点で日本人を見てみたら、

「自己肯定感が低い」ってことになったんじゃないのかな、と。

じゃあ、これはどこと比較して低いのかっていうと、

アメリカや中国、韓国と比べて、みたいです。

wikiさんによると^^;

 

 

 

和の心には「お陰」というものがあるじゃないですか。

 

 

「オレがオレがの我を捨てて、お陰お陰の下に生きよ」

という格言がありますよね。

わたしもちょっと我が強かったかな、と思ったときに思い出す言葉なんです。

 

 

この言葉はすごく日本的な言葉だな、と思います。

意味としては、

思い上がらず謙虚であれ、

みたいなことだとわたしは思ってるいます。

このことを西洋的な自己肯定感の見方をすると、

”低い”になるような気がするんです。

 

 

これが、自己肯定感の低さだとするなら、

わたしは低くても構わない、

そう思ったんです。

 

 

そもそも、わたしも自己肯定感が低いですけど、

娘も低いんですね。

 

 

でも、わたしと娘とは、自己肯定感の低さの反応が

陰と陽という感じに違うんです。

わたしは、内側に出るけど、娘は外側に出るんです。

 

 

で、そこで比較したら、どっちの低さが良いのか?

って話なりません?

 

 

 

で、良く言う「自己肯定感を高くしよう」なんですけど、

これだって、高過ぎでも良くないでしょ?

 

 

高いとか低いとかじゃなくて、

単に”自己肯定”という中庸な場所に置くことが大事だということ。

 

 

でも、高い低いじゃないなら

自己肯定感をどうするんじゃ?と考えてみたら、

結局、評価につながる言葉になっちゃうんです。

 

 

それはどういうことなのかと考えたとき、

わたしのベースに、常に良い悪いのジャッジがあるからなんだな、

ということに気が付きました。

 

 

言葉そのものには、それを表わす意味しかない。

その言葉をどういう言葉にするか、

例えば、ポジティブなものにするのか、ネガティブなものにするのか、

自分が決めてるってことです。

ということは、自分で決められるってことです。

 

 

結局のところ、どんな言葉でも自分が使って作用しだす。

その言葉をどう使うのか、どんな意図・思いを乗せるのか、

自分の言葉をもっと大事にしよう、と思いました。

 

 

 

言霊っていうけど、

あらためて思う、

 

 

 

言葉って怖っ!そして、すごい!

 

 

 

なんかな、病気と一緒な感じ。

たいしたことないと思うけど、

なんとなく違和感がある。

違和感が気になると、

それが何なのか知りたくなる。

それで、病院に行って病名が付くと、

本当に病気になっちゃう、

そんな感じ^^;

 

 

 

おしまい☆彡