数年前に、父、母を立て続けに見送りました。

ちなみにこの年は、さよならイヤーでした・・・。1年半の間に何人の親戚や友人を見送っただろう。

尋常じゃない1年でした。

 

父は、最後まで人工呼吸器、点滴をつけられていました。自分で引き抜こうとして、手も縛られていて・・・。

最後は、痰が詰まって、夜中に看護師が見回った時には既に息を引き取っていた状態でした。

 

今思えば、とても苦しかったんじゃないかなと思います。

 

点滴を繋いだまま、逝ってしまうのは本人にとって少し、というか、だいぶ大変のようです。

 

二人とも痴呆が入っていて、施設に入院していたので、

父が他界した時、母は昔の恨みからか、暴言を吐いてました・・・。

 

一方、母は最初は、施設が空いていなく、精神病院の介護施設に入ってしまったため、

まあ、薬漬けです。。。

 

見る見るうちに悪化していきました。

 

途中、いくらなんでもひどいので、色々親戚に相談して、

良い施設に転院することに。

 

そこで、最後を迎えました。

 

ある日、もう間に合わないかもという連絡を受けて、向かったら、その日は一旦持ち直しました。

きっと、呼んでくれたんだなと。

 

そして、担当の医師は、母は持ち直したのに、その日、母の点滴を外したんです。

もう、口から何も取ることはできなくなくなっているのに。

 

何も知らなかった私は、びっくり!

水分は?脱水にならないの?!!

なんで??

 

そこで、なんで点滴をしないのか?兄と私で、

水分取れないじゃないか?と医師に訴えました。

 

そしたら、もう亡くなるだろう人に点滴は苦痛でしかないと。

水分を吸収しなくなっているので、点滴をするだけ、浮腫んで、痰も詰まって、

体が受け付けないものを入れることは、自然に逆らうことだと。

 

点滴をしなければ、次第に水分が抜けていって、排泄物も減っていき、脳内ホルモンが出てくるの、

本人は全く苦しくないそうです。

 

もちろん、家族がして欲しいならするけど、せいぜい死期が伸びても二週間程度だと・・・。

 

その後、色々ググったわけです。

 

そうすると、色々ありました。

 

昔は、自分で食べれなくなって床にふせっている人のところに、水が用意されていて、それを自分で飲めなくなったら

だんだん体内から水分が抜けていって、安らかに亡くなるそうです。

 

母も点滴を抜いてから少しづつ、10日間かけて、最後は心拍が行きつ戻りつしながら、緩やかに亡くなりました。

父が亡くなって、ちょうど1年後ぐらいに母も他界。

なんだかんだで、仲良かったのかな?

 

この施設の医師、見た目はヤバそうな人でしたが、お陰で色々知ることができたし、母にとっても良かったんじゃないかなと。

多くの医師は少しでも延命措置を進めそうな気がします。

 

二人とも80歳も過ぎていたし、大往生だったのではないでしょうか。

昭和一桁世代は、戦争も体験したりして、激動の人生だったんだろうなと。

 

父は結婚してから、一度も小遣いをもらったことがなかったそうです。

でも、いつも父の財布の中は、10万単位でお金が入っていました。

サラリーマンで、農家で、他の副収入なし。

 

どうしてか?

 

麻雀で・・・。今じゃ、アウトですが・・・。もう亡くなってるし。

親戚とか、友人たちと遊んで、ちゃっかり、くそ真面目な父は手堅く、負けたことがなかったようです。

 

母に聞いてすごいな〜と感心しました。

 

私も、自分のことはしっかり子供たちに伝えておかなければな〜と思ってます。

無理やり延命治療はお断りと。

 

そうそう、父母は、そうでもなかったですが、祖父が亡くなった時、骨がとにかくピンクだったのが印象的で。

その時は、なんでだろうな〜。とずっと不思議だったんですが、

後に、マスターによると、

ピンクの骨は、その人がその人自身の人生を生き切った証らしいです。

ちなみに、癌などの病相は真っ黒こげになってます。

 

祖父は明治生まれで、全ての戦争に行って、無事帰還し。

その後も、宮大工をやったり、とにかく手先は器用だし、頭はいいし、働き者で、

さらには倹約家で、人のためにお金を使う人でした。

私たちは、祖父たちの陰徳のお陰で、今があるんだろうな〜と。

 

まあ、これからの時代、アバターになっていくのでもっとやばいかもしれませんが・・・。

点滴どころではなく、気づけば、バーチャル世界かな〜。

いや、気づいてればいいけど、気づかず、いつの間にかバーチャル世界だったりしてww