「さようなら赤ちゃん」
執筆者 東町健太
「パンダの赤ちゃんを見に来るやつを見に行きたい」みたいなことを書きなぐった翌日、私の耳に訃報が届いた。パンダの赤ちゃん、ハローグッバイ。パンダの赤ちゃんは生まれて数日でこの世を去ってしまった。だめじゃん、残念じゃん、と思った。やっぱり死のう、と思った。おそらく、パンダの赤ちゃん誕生に便乗していろいろ金かけてパンダグッズなんか仕入れてしまった商店街のおやじなんかも死にたい気分になっているだろう。パンダに振り回される大人って本当につまらない存在ですね。
そんな悲しい赤ちゃんパンダの悲報について、朝日新聞さんも7月16日の天声人語でとりあげている。いわく「動物園はこの経験を生かすだろうし、次は双子かもしれない。辛い話も、見方を変えれば幸せの種になる」そうだ。つまり「パンダが死んで悲しいけど、見方を変えたらあんなの死んでむしろ幸せだよね。やったね!パンダ死んでよかったね!イエイっ!」と言っているわけだ。どう見方を変えても別に幸せではないだろうと思ってしまう私はまだまだダメな人間だ。
さらに天声人語は続く。「そのときは辛くても、何かの肥やしになったと後で思える経験は多い。すべては癒せないにせよ、心の古傷に前向きな意味を与え、一歩を踏み出したい。」とても、とてもいい言葉だ。感動した。先年の震災で住む家を失い家族を失った方もいるだろう。それも全て後で肥やしになるのだ。だからそれらは不幸なことではなく、むしろ幸せなことなのだ。朝日新聞の論説委員は被災地に行って被災者に語りかけたらいい。「家流されてよかったね!地震に遭ってよかったね!イエイっ!」きっと袋叩きにされ散々な目にあわされるだろうが、その出来事に前向きな意味を与え、一歩を踏み出せばいいのだ。とても幸せなことだ。
そしてこの日の天声人語の中の、朝日新書の新刊『すりへらない心をつくるシンプルな習慣』(心屋仁之助著)という本からの引用がまた泣ける。お前んトコの本の宣伝かよ、などと突っ込まずに読んでほしい。いわく「いやな出来事の後に『おかげで』をつけてみる」というありがたい助言だ。ためしにやってみよう。
「毎日毎日学校で殴られたり金をまきあげられたりしていじめられたおかげで‥」
「家の近くの原発がメルトダウンしたおかげで‥」
「性格が破綻しているから就職先が全くみつからないおかげで‥」
「学歴がないから工場での肉体労働しか仕事がなくて、その影響で腰が壊れたおかげで‥」
おかげでどうなったかは私が考えることでなく当事者の皆さんが考えることだと思うが、腰が壊れたおかげでどうなったかは今の私にはわからない。
心屋さんが言うには、「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」らしい。私の元にはピンチがピンチの顔をしてやってくるばかりだが、心屋さんがそう思うなら心屋さんにとってはそうなのだろう。今、アフガニスタンやシリアは内戦やテロでどこからどう見てもピンチなわけだが、世界中で心屋さんだけはこの状況をチャンスだと思っているに違いない。なんと幸せな人なのだろうか。バカなのだろうか。
赤ちゃんパンダの死、この悲しい出来事を幸せだととらえ喜び祝う、そんなやつに絶対なりたくないと思ってしまう私は明日からも不幸は不幸としてしかとらえられない残念な男なのだろう。うん、別にそれでいいや、問題なし。
そろそろ普通に赤ちゃんパンダの冥福をお祈りします。なんだかんだ言って結構見れるの楽しみにしてたから残念。来年に期待っ!
