徳島旅行2日目
ホテルには
大浴場がふたつあって
昨晩は最上階の「展望」露天風呂に
海に面しているけど
明かりがなくて真っ暗で何も見えなかった笑
朝は
1階の露天風呂に行った
お風呂の扉を入ると
もう露天だった!
一方の壁がなくて海が見える
二人で
しばらく
海を眺めながらお湯に浸かっていた
お湯の温度もちょうど良くて
気持ちの良いお風呂だった
朝食は和食にした
徳島の郷土料理の店だった
バイキング
種類が多くてたくさん取った
だしをきちんととって作った感じの味
かぼすや鳴門金時を使った料理があった
美味しかった
バイキングでこんなにいいのは
久しぶり
鳴門の渦潮を見に行く
10分ほど路線バスに乗る
ホテルを出ると小雨が降っていた
娘が傘を持って来てくれていたので
ありがたく入れてもらう
ホテルで
1500円の船のチケットを
娘の分 自販機で買っておいた
私ひとりで買った
100円だけだが安くなる
私の分は現地で
ミライロIDを見せて半額で買う
(付き添い人は半額にならない)
バスに乗る時
小銭を出そうとお財布をあけた
その時
チケットを
間違えて買っていることに気づいた
乗ろうと思っていたのは
「うずしお観潮船わんだーなると」
ところがチケットは
「うずしお汽船」というのを
買ってしまっていた
「あんなにわんだーなるとに乗るって
自分で言ってたのに間違えたの?!」
娘に言われた
私はこういうミスをする人
どうしよう どうしよう
動揺した
最初は
1500円は損したことにして
「うずしお観潮船わんだーなると」に乗ろう
と思った
でも1500円は大きい……
チケットを買ったうずしお汽船に
乗ることにしよう、と 考えを変えた
でも
ミライロIDを調べると
うずしお汽船は障害者割引をしていない
それなら
わんだーなるとに1人は障害者割引で
2人分お金を払っても
そんなに損をするお金は大きくない
娘がスマホでさっと調べて
うずしお汽船も
障害者割引があると書いてあると
見つけてくれた
うずしお汽船が
ミライロIDに登録していないだけ
じゃあやっぱりうずしお汽船だ!
手帳を見せて割引を受けることにする
ふたつの船は出ているところが違い
降りるバス停が違う
うずしお観潮船わんだーなるとの
最寄りのバス停で
私たち以外のお客さんが
ゾロゾロ全員降りていく
やっぱり渦潮観光にいいのは
わんだーなると?
また動揺したが
迷っているうちにバスが発車した
うずしお汽船の最寄りのバス停はふたつ先
がらんとしたバスの中で
着くまで娘も私も無言
バス停に着いて
降りた
まだ動揺しながら
うずしお汽船の受付へ行く
障害者手帳を見せて
すんなりと割引を受ける
うずしお汽船は小さな船だった
お客さんの数は
そう多くないけどいなくはなかった
海面が近い
渦潮って
大きな渦がひとつ出来るのを
眺めるのかと思っていたが
太平洋と瀬戸内海の水がぶつかるところに
小さな渦がたくさん出来るもの、だった
船が小さいので渦のそばまで行く
「お母さんは落としたら困るから
スマホ出さないでね」と娘に言われて
あんまり写真を撮らなかった
娘がストラップのついた一眼レフで
写真を撮った
同じ出航時刻のわんだーなるとが見えた
大きな船
たくさんの人が乗っている
人が二重三重になっている
こっちは小型船で
乗っている人も多くないから
船のへりにいられた
渦潮がよく見えた
「こっちで良かったかもね」
船を降りて
帰りの高速バスに接続する路線バスまで
50分ほどある
うずしお汽船の駐車場の警備員さんに
他の観光施設まで歩いて行けるか
聞いてみた
階段を登る感じになるが
10分ほどで行けると!
お昼を食べていなかった
頑張って行くことにする
荷物が重い
汗だくになって階段を登る
こんな景色のいいところへ出た!
鳴門大橋がよく見えた
登って来てよかった
渦潮を
見下ろすことの出来る施設「渦の道」まで
行こうということになった
ここには
娘が行きたいと言っていた
バス時間からすると
15分くらいしかいられない
バスを逃すと
大阪へ帰る高速バスに乗れない
急いで歩いた
この施設も障害者割引で半額の
ひとり250円
渦潮を真上から見れた
じっくりは見られなかったが
「500円だとちょっと考えちゃうけど
250円だとすれば
よかったかも」と娘
うずしお観光船わんだーなるとのほうに
乗っていたら
ここまでは行って来れなかったと思うので
チケットの買い間違いは
結果オーライだった
高速バスで
寝ている間に
15時半頃大阪に着き
伊右衛門カフェで
昼夜兼用のごはんを食べた
このあと娘は職場に行く用事があって
徳島旅行というより
鳴門旅行という感じの二日間は終わった
鳴門から路線バスで50分くらいの
徳島駅まで行けば
阿波踊り会館があったり
四国霊場巡りのスタートのお寺があったり
もっと徳島を感じられたとは思う
四国に行くことなんて
もう一生あるかわからない
ちょっと惜しいけど
でも時間の許す限り行動出来た
「お母さん元気になったね
私よりスタスタ歩いてたよ」
「お母さんのほうが張り切って
旅行の計画立てて手配してくれた」
いつからか
娘は私をいろいろカバーしてくれる
母は
いたわるべき対象の人だと
思っているのだろう
長い3ヵ月に渡る入院も二度あって
迷惑もかけてきた
少しでも娘の負担にならないようにするのが
これからも
私の課題
双極性障害もそうだが
リウマチも
悪化しないようにと祈る
努力も続ける