娘が遠くの大学に通っている
地震があり
緊急地震速報に驚きすぐライン
震源が浅いから速報より先に揺れたと
「行こうか?それとも帰ってくるかい?」
「いいよ、大丈夫」
大学が休校になるくらいだから
しばらく余震のたび心配だった
そのあとは大雨、暑さ


行ってやりたいと思う
なにが出来なくても顔だけでも見たい
こういうのが
親心というもののひとつじゃないかと
ふと    思う
ここのところの災害からも思う



精神科に
私が3ヶ月ずつ2回入院した間

私の両親が見舞いに来ることは
一度もなかった

母の兄が亡くなり
ああもうおじちゃんと会うことはないんだ
そう思ったとき

父母が元気なうちに
聞いておこう
どんな風に考えて
私に会いに来なかったの?と


私なら
娘がどんな状態でもとんでいくから!


よく内容を考え
父にメールをした


父はボケてはいないと姉から聞いていたが
支離滅裂な答え
もしかしたら狼狽していて、かもしれない

よくわからないから重ねて問うと

電話があり
「私にも◯◯◯(母)にも精神病の血筋の人はだれもおりません!」

私の聞きたいことがわかるどころか
私の傷に塩を塗る答えだった


最初は
聞きたいことに答えていないじゃないか
と思ったが

これが
答えなんだ


おそらく
うちの親は
自分の子どもが精神病患者であることを
受け入れられないのだろう
だから
見舞いにきて
私の状態を目の当たりにすることなど
考えられなかったのだろう



幸い
両親の老後は
姉夫婦がみることになっている

たったひとつのこと
ある意味
私のアイデンティティであることを
受け入れることのない両親とは

もう
親しく過ごすことは

ないのだろう