江戸川乱歩作品に「鏡地獄」という作品がある。
様々な形態の鏡に興味を持ったある人物が球体内全面に鏡を貼った中に入り発狂するという話。詳細はこの小説をお読み下さい。

 

さすがに乱歩氏。単なる空想の世界を描いていない。実際にあり得るような筆致の文章。
例えば球体内に豆電球を配すとかの部分。
最初にこの小説に読まずに感じたのは、球体内に閉じ籠もったら灯りがなければ闇だろうとか、ローソクでは酸素不足になるだろうとか色々考えた。

 

でも、読み進むと球体内はどの様なのかを暗示させるような、想像させるような文章が連なっている。単に結果の奇異さを書いた文章では無い。
自分は爪のアカでも飲みたい気分になる。

 

文章の基本形は起承転結。その順序を変えた作品が「刑事コロンボ」それに似た脚本が
「古畑任三郎」。つまり、4つの基本形の順番は変えられるが省くと文章が分からなくなるしややもすると話が面白くなくなる。
これは、一話全体にも言えるし、一つ一つの文章にも言えることだとおもう。勿論、全てに当て嵌めなければならない物では無いが。

 

自分はこれらを肝に銘じて物語を書いているわけでは無い。が、大凡この様な形を取っている。この形の方が自然であり、書きやすいという面もある。

 

興味深いのは、乱歩作家が果たして「結」を先に思い立ったのか、「起」から最後の「結」

に至ったのかという点。

 

分かり易く言うと、様々な形状の鏡を見て球体内鏡を連想したのか、球体内鏡ってどんな不思議があるのだろうと思い、鏡に付いて知識を得て行ったのかと、どちらが先なのかという点。

恐らく、いろいろだったと思う。

でも、物語を書く時の一つの参考にはなる。それは「テーマ」だ。

 

テーマを先に考え文章を書いて行く場合と、こんなシーンが面白いなと書き始めるのとは少し違う。

テーマを先に決めると話の広がりが難しくなる、というか、逸脱出来なくなる。

テーマ無しに話を書き続けると、あらゆる方向に進めるという自由がある。

その分「一体何が書きたいのだ?」という疑問を抱かれるかも知れない。

 

また、テーマありだと、肉付けも結論も考え思いつき易い。

テーマ無しだと最後をどの様に閉めようか悩む場合が出てくる。ややもすると文章が滅茶苦茶になる。

この様に、最初にどの様に取り組むかで物語の内容すら違ってくる。

 

この両方を描いているのが 星新一作家。

星氏の初期文章を読んだ。奇想天外滅茶苦茶な文章だったが、とにかく面白かった。何故面白いのか未だに分からない。

後の多くの作品は明確な起承転結。ショート作品の傑作ばかりだ。

自分は星氏の作品を目標の一つにしている。

 

基本があって、必ずしも基本に囚われる必要も無いという自由闊達さ。書くことの面白さがそこにあると思う。