大夕張は夕張市東部、シューパロ川の沿いの河岸段丘に、1929(昭和4)年の三菱鉱業による大夕張炭鉱開発により建設された炭鉱街。最盛期の1955(昭和30)年には2万人近くの人口を数えた。


・大夕張駅上空 9200形SLを先頭にワフ、客車4両、そして長い石炭車が続く 1958年

・同上拡大

幼稚園、鹿島小学校、鹿島東小学校(奥鹿島分校)、鹿島中学校、夕張東高校や図書館分館等の教育機関、警察、消防、郵便局、大夕張営林署などの行政機関、拓銀支店・信金・労金の金融機関、一般商店、三菱購買会、大夕張生協、旅館、炭鉱病院、診療所、映画館(会館)、寺社・教会など一通りの都市機能を有していた。


・大夕張 鹿島栄町商店街を行く三菱バス 1962年頃 高橋勇治氏

・代々木町の4階建てアパート 1964年頃 高橋勇氏氏

昭和30年代まで三菱大夕張鉄道が唯一の「生命線」だったが、バスが通うようになると、夕張市中心部や札幌とも直結した。
大夕張鉄道の沿線住民は夕張本町に出掛けるのと同じく、大夕張に向かう事もあった。
1973(昭和48)年の三菱大夕張炭鉱閉山後急速に過疎化が進んだが、1998(平成10)年には夕張シューパロダム建設に伴い最後の住民約350人が移転、2014(平成26)年からの湛水開始により一部区域が水没した。「石炭」「林業」「水資源」と国策に翻弄され地域でもあった。


・大夕張郵便局 1997年

・旧大夕張駅前の日通営業所 背後の建物は鹿島通運 1997年

明石町の旧夕張東高校跡地に「眺望公園」が設けられ、北の「北栄町(官行)」から南の「明石町」まで、大夕張の各町名は、架け換えられた国道の橋梁の名称に引継がれた。

・「眺望公園」の大夕張の碑 2019.9.15

 


・シューパロ湖の水位が低下すると旭沢橋梁、新・旧白銀橋のアーチや、旧明石町等が姿を現す  2017.8.13

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シューパロに風わたり
流れもぬるんで春が来る
のぼりはためく山神社
祈りかしこみ地熱の中に
男度胸の花が咲く
大夕張よいとこ炭坑の町よ
                                           (大夕張音頭)
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