夕張市東部の南部東町に鉱業所を設置、操業していた三菱鉱業経営の炭鉱(後に三菱大夕張炭礦、三菱石炭鉱業と変遷)。
石炭産業の合理化が進む中、鉄鋼コークス用原料炭を確保するために三井三池炭鉱有明鉱、北炭夕張新炭鉱などと共に開発され、1970(昭和45)年より営業出炭を開始した。


・三菱大夕張鉄道南大夕張駅 待望の南大夕張炭鉱が営業出炭を開始した 1970年頃 高橋勇治氏

・開発が進む三菱南大夕張炭鉱 1969年頃 高橋勇治氏 

・三菱南大夕張炭鉱鉱区図 南大夕張新鉱開発について 吉田俊郎 日本鉱業会誌 1971.11

・三菱南大夕張炭鉱斜坑断面・標準炭柱図 南大夕張新鉱開発について 吉田俊郎 日本鉱業会誌 1971.11

南部東町に炭鉱施設、若美町に職員住宅、青葉町、菊水町に鉱員住宅と新炭鉱と共に新たな炭鉱街が形成された。
年間90万t~130万tの出炭規模で集中保安監視システム、ホーベル、エアー・ブラスター(空気発破)など最新鋭の技術が採用され、高能率を誇ったが、1985(昭和60)年5月17日に死者62人を出すガス爆発事故を起こした。


・高品位原料炭の山と最新鋭の選炭機 三菱南大夕張炭鉱開坑10周年記念絵はがき 1980年

・レンシングドラムカッターと自走枠による機械化払 三菱南大夕張炭鉱開坑10周年記念絵はがき 1980年

・南部地区全景 南部東町に炭鉱施設、若美町に職員住宅、青葉町、菊水町に鉱員住宅と新炭鉱と共に新たな炭鉱街が形成された 三菱南大夕張炭鉱開坑10周年記念絵はがき 1980年

・三菱石炭鉱業南大夕張砿業所概況 1985年頃

・同上 坑内概況

・三菱南大夕張炭鉱と石炭列車 1980年頃

1987(昭和62)年7月に石炭輸送の三菱石炭鉱業大夕張鉄道線を廃止するなど、合理化に務めたが、事故の影響と折からの海外からの低価格の原料炭輸入に抗しきれず1990(平成2)年3月に夕張最後の炭鉱(ヤマ)として閉山した。
炭鉱施設は全て撤去され、石炭輸送で賑わった南大夕張駅構内に、保存車両が残されるだけである。

・三菱南大夕張炭鉱坑内模型 夕張市石炭博物館