夕張市は夕張川の本支流に炭鉱が開発され、集落が発達したが、それらを繫ぐものは「鉄道」であった。
・国鉄(JR)夕張線 1892年~2019年 126年間
・三菱大夕張鉄道 1911年~1987年 76年間
・北炭真谷地専用鉄道 1913年~1987年 73年間
・夕張鉄道 1926年~1975年 48年間

・夕張周辺の鉄道路線図
「札幌から帰る途中で栗山から花嫁さんらしい一行が乗り込んだ。会話の内容から、はじめて夕張へあす嫁入りする旅だとわかった。親戚らしい中年の婦人が宵の窓外の風物や夕張の街の話をするのだが、娘さんはただうなずくだけ。錦沢近くにさしかかると日もとっぷりと暮れ、窓外は黒一色、結婚と未来の土地に対する不安をそそるのが寂しげに見えた。私もつい心情を察した。列車が若菜に抜け窓外一面にネオンのないヤマの灯が広がった時だった。「まあ、きれい」はじめて娘さんの口から嘆声がもれた。いかにも安堵に満ちた表情だった。『夕張は夜来て、朝帰る街』よく、こんなたとえを聞く。私は明日になっても、このお嫁さんのイメージがこわれないことと、幸せな奥さんになってほしいと祈らざるをえなかった(夕張タイムス S41.3.3 夕張市教育長 相沢守)」。野幌から栗山を経て夕張本町に繋がっていた「夕張鉄道」の沿線風景が彷彿とする。


・夕張鉄道 旅客20列車と貨物127列車の交換 錦沢 1967年5月10日 石田司氏撮影

・国鉄夕張駅 D51による貨物列車 1974年

「国鉄夕張線」や、「夕張鉄道」には「石炭列車」も走っていたが、他都市に繋がる気動車も走り、何処となくお洒落だった。
「炭鉱(ヤマ)には一種独特の雰囲気がある。それは炭住や生協の売店、鉱業所などからだけでなく鉄道からも伝わって来るものであった」(レイル誌 №15 エリエイ 1979年)。
より炭都らしく、おらが炭鉱(ヤマ)の鉄道と思えるのは「三菱大夕張鉄道」や「北炭真谷地専用鉄道」だろうか。
国鉄から払い下げられた古典SLが明治時代の客車を引き、冬になるとダルマストーブが暖房に活躍。炭住街を行く長い石炭列車も炭都のシンボルだった。


・三菱鉱業大夕張鉄道 9237による混合列車 大夕張炭山 1960年頃

・北炭真谷地専用鉄道 8100形による客車列車 沼ノ沢・真栄町間 1964年頃

2019年3月末、歴史ある石勝線支線も廃止され、今は新夕張駅を特急列車が駆け抜けるだけとなった。

・JR夕張支線 夕張駅14時35分発9272D 2019.3.31

・南部の南大夕張駅跡に残る三菱大夕張鉄道の保存車両 2020.4.12

・夕張市のお隣。あびら町追分の道の駅「デゴイチ・ステーション」には夕張線でも活躍したD51が保存されている 2020.4.12