ブログ作成にあたり、下記図書を参考にしました。
・明治維新という大業 松浦光修 明成社
・帝国憲法物語 倉山満 PHP
当時、アジアの国々は、
① 欧米諸国の植民地となるか
② 自らの独立を守る主権国家となるか
二つに一つの選択しかありませんでした。
明治維新を成し遂げた日本は、憲法を制定し、富国強兵を成し遂げ、列強諸国が認める自主独立の主権国家へと成長します。
日清戦争、日露戦争で勝利して不平等条約を改めさせ、第一次世界大戦でも戦勝国側で戦いました。
その結果どうなったでしょうか。
領土は日本列島、台湾、朝鮮半島、千島・樺太、元ドイツ領だった赤道以北の南太平洋の島々に及び、領海は太平洋、黄海、東シナ海を抱え、米英ソと並ぶ“大国”になっていました。
前進するためには、エンジンと舵が必要です。
その舵の役割が「五箇条の御誓文」でした。
「五箇条の御誓文」は、神々に誓いを立てるという“かたち”で、宣言しています。
神々の前で、天皇と朝臣が共に誓い合い、新しい時代にむけて大改革を行うことになりました。
( 前回の続きです )
〔4〕「五箇条の御誓文」が公布されるまで
「五箇条の御誓文」となる原案があります。
慶応4年1月3日、戊辰戦争がはじまりました。
同じころ、福井藩の由利公正が、慶応三年十二月から翌年の正月にかけて、ある文章の草案を作りました。
「議事の体、大意」
一、庶民、志をとげ、人心をして倦まざらしむるを欲す
一、士民、心を一にして、盛んに経綸を行うを要す
一、知識を世界に求め、広く皇基を振起すべし
一、貢士、期限を以て賢才に譲るべし
一、万機公論に決し、私に論ずるなかれ
諸侯会盟の御趣意
この由利の案に、土佐藩の福岡孝弟が筆を加えます。
会盟
一、列侯(大名)会議を興し、万機公論に決すべし
一、官武一途、庶民に至るまで、各々その志を遂げ、人心をして倦まざらしむるを欲す
一、上下、心を一にして、盛んに経綸を行うべし
一、知識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし
一、徴士、期限を以て賢才に譲るべし
「五箇条の御誓文」の原案は、はじめは由利によって「会議規則」のかたちで示され、次に福岡によって大名同士が互いに約束する「誓約書」のようなかたちで起案されました。最後に、天皇が神々にお誓いする神道的なかたちとなりました。
この転換は、重要です。
経緯はこうです。
五箇条の御誓文が完成して、公布されるのは、慶応4年3月14日。
この日は、江戸城総攻撃の前日です。
薩長同盟軍は大村益次郎と西郷隆盛の指揮のもとに進軍が続きます。
いよいよ江戸城総攻撃の準備が整いました。
ところが、総攻撃の前日(慶応4年3月14日)、西郷隆盛と勝海舟の会見によって、江戸城無血開城が合意されました。
同じ日(3月14日)、京都では、「五箇条の御誓文」が公布されます。
しかし、幕府の力はほぼ消えつつあります。
原案は、「会議規則」や大名同士の「誓約書」である必要はありません。
木戸孝允は、建議を行っています。
「天皇が神々に誓うかたちで『国是』を確認し、それを『天下』に示すべきである」
木戸は、原案を新しい日本の「国是」に仕立て上げました。
こうして『五箇条の御誓文』は完成しました。
「五箇条の御誓文」を現代訳で示します。
一、人々の意見を、広く聞くための会議を開いて、たとえ人々の意見がわかれても、何事もその会議で、公正に議論したうえで、結論を出してまいりましょう。
一、身分や立場のちがいにかかわらず、日本人は心を一つにして、それぞれの立場でしっかりと働いて、国を豊かにしてまいりましょう。
一、軍事にたずさわらない公務員や軍事にたずさわる公務員・・・、さらには一般の国民にいたるまで、全ての人々が、みな志をもち、それを達成できるような・・・、そして人々が日々、生き生きと暮らしていけるような・・・、そのような国にしていくことが大切です。
一、これまで、我が国で長くつづいてきたことであっても、それが悪いものであるなら、きっぱりとやめ、何事も国際的に通用するようなことをしてまいりましょう。
一、世界中から、いろいろなことを学んで、私たちの知識を豊かにしてまいりましょう。
我が国の歴史上、これから、かつてない大変革を行うにあたり、まず私が、身をもって人々の先頭に立ち、天の神々、地の神々にお誓いして、この五箇条の国家方針を定めました。その方針にもとづいて、全国民を保護し、全国民が安全に暮らしていける方法を確立したい、と思っています。どうか皆さんも、この五箇条に基づいて、心をあわせて、力をつくしてください」 (『明治天皇紀』)
五箇条の御誓文公布にあたり、天神地祇御誓祭が執り行われました。その祭文には、こんなことが書かれてあります。
「今から、天つ神の御依頼によって、天下の大政を執り行うため、親王、公家、国々の大名、さまざまな公務にたずさわる人々をひきいて、この神座にまします神々の御前で、お誓いいたします。・・・今日、お誓いしたことを違えるような者は、天の神々と、地の神々が、たちまち神罰を下してくださるもの・・・と思っています」
厳しい内容です。
〔5〕 国威宣揚の御宸翰
公布当日の明治天皇さまは、
「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」
を発せられました。ご自分の決意を国民に伝えるための手紙のようなものです。
その一部分の現代語です。
「私は、幼く弱い身でありながら、にわかに皇位を継承することとなりました。それ以来、私は、どのようにして世界各国と向き合いつつ、私の祖先であるご歴代天皇方に恥じない務めをはたしていけばよいのか・・・と考え、朝から夕まで、いつも身の引き締まる思いです」
「今、朝廷の政治は一新されました。その時にあたって、国内の全ての人々が、たった一人でも、その人にふさわしくない場所に置かれていたら、それは、みな私の罪です。ですから、これからは、私自身が骨を折り、心や志を苦しめ、困難の先頭に立ちます。そうして、御歴代の天皇方の尽力されてきた跡を見倣い、私も、御歴代の方々のように国を治めてまいります。そのようにして、はじめて私は、天から与えられたつとめをはたしたことになり、全国民の君主として、恥じない者となれるのです」
「あなた方は、もしかしたら、これまでの悪い習慣に慣れてしまって、朝廷に対しては、ただ尊び、重んじていればよい、と考えているのではないでしょうか。神の国・日本には今、危機が迫っているのですが、そのことを知っているでしょうか」
新しい時代の幕開けにあたり、お覚悟と決意が伝わる内容です。
「五箇条の御誓文」をもとにして、憲法制定に向けた歩みが始まります。
明治22年、ついに「大日本帝国憲法」が発布されます。長い年月をかけて、我が国の近代立憲政治が始まる瞬間です。
〔6〕維新は外国の革命ではなかった
吉田松陰、坂本竜馬 勝海舟 伊藤博文 西郷隆盛 高杉晋作 桂小五郎 大久保利通・・・・
維新の志士たちは、当時、人々から英雄と見られていたのでしょうか。
しばらくの間、故郷の人達からは嫌われていました。
断行した武士たちは、まず、幕府の「既得権益」を取り上げました。そして幕府は消えました。次は廃藩により、自分たちの「既得権益」まで捨ててしまい、そろって「失業」し、路頭にまようことになったのです。
維新後の士族たちは、先祖伝来の「既得権」を奪われ、日々の生活にも不安を感じていました。そういう士族たちにとって、彼ら維新の志士たちは、“古き良き時代の破壊者”と映ったことでしょう。
明治10年の西南の役が、士族の反乱の最後でした。
〔7〕 戦後再び『五箇条の御誓文』
話は昭和の時代に飛びます。
終戦の翌年(昭和21年)元旦に、昭和天皇様は、「新日本建設に関する詔書」を発せられました。
その冒頭に五箇条の御誓文が登場します。
<冒頭部分>
「ここに新年を迎えました。
かえりみれば明治天皇は、明治のはじめに国是として五箇条の御誓文を下されました。
そこには次のように書かれていました。
一、広く会議をおこし、万機公論に決すべし。
一、上下心を一にして盛んに経綸を行うべし。
(中略)
明治大帝のご誓文は、まことに公明正大なものです。
これ以上何をくわえるのでしょうか。
朕は、ここに誓いを新たにして、国運を開こうと思います。
(以下略)
そして、昭和52年8月23日、昭和天皇の記者会見のお言葉です。
「それが実はあの時の詔勅の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題であった。(中略)民主主義を採用したのは、明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして『五箇条御誓文』を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、
民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要があったと思います」
「日本の誇りを日本国民が忘れると非常に具合が悪いと思いましたから。日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあったということを示すために、あれを発表することを私は希望したのです」
(引用は高橋紘『陛下、お尋ね申し上げます』)
昭和天皇さまは、敗戦のとき、『五箇条の御誓文』の精神に戻って日本の再建に頑張ろうと呼びかけられたのでした。