光格天皇(1)

 

来年は、光格天皇以来200年ぶりの譲位が行われます。

報道によると、天皇陛下はご譲位の意向を示された当時、

「光格天皇の事例を調べるように」

と宮内庁側に指示されたということです。

光格天皇はどのような方だったのでしょうか。

主な参考図書は上記の二冊です。

まず、江戸時代の幕府と天皇の関係から見ることにします。

 

1 江戸時代の朝廷と幕府の関係  

① 幕藩体制

 江戸時代は幕藩制国家でした。

中央に幕府=将軍、地方に藩=大名を置きます。

将軍と大名は、封建的土地所有、領有制の編成によって全国の土地と民を支配しました。

天皇・朝廷は、幕藩体制に入るスキはありません。荘園、領地はほとんどを幕府に押収されていましたから、

しかし・・・。

幕藩体制に、天皇、朝廷はなくてはならない存在です。

歴代の将軍は、天皇から任じられてその地位につきます。大名も、官職(薩摩守、陸奥守、中納言、少将など)、位階(正一位 正四位上 従五位下 など)を朝廷から受けていました。

圧倒的な武力を持つ将軍・大名は、律令制的な位階・官位を天皇・朝廷から任命されることで、支配の正統性を得ています。力だけで支配できないのが日本。

 例えば、日本人なら誰もが知っている徳川家康と日光東照宮。

徳川家康は東照大権現という“神号”を持ち、日光東照“宮”に祭られています。

 家康に“神号”を与え、日光東照社から一段高い日光東照“宮”へと格を挙げたのは天皇でした。

いずれも将軍には真似のできない機能です。

 

② 『禁中並公家中諸法度』

「このような重要な存在をほっておけば、とんでもない行動に出るかもしれない」

そう考えた幕府は、天皇・朝廷を統制する仕組みを作ります。

それが『禁中並公家中諸法度』です。

第一条「天使諸芸能の事、第一御学問也」(公家は学問にはげめ)

裏読みすれば、こうなります。

「天皇・朝廷は幕府のすることに口出しするな」

律令制に基づく高官(関白、太政大臣、左大臣、右大臣、大納言、中納言、参議など)がいるにはいますが、直接国政にかかわれないようにしました。

一方で、幕府と朝廷の意思疎通のための交渉ルートもありました。

将軍 ⇒ 老中 ⇒ 京都所司代 ⇒ 禁裏付 ➡ 武家(ぶけ)伝奏(てんそう) ⇒ 関白 ⇒ 天皇

 「禁裏(きんり)付」が幕府の窓口、武家伝奏(でんそう)が朝廷側の窓口です。

 禁裏とか武家伝送とか、聞きなれない言葉がありますが。

以外ですが、江戸時代は天皇のことを「禁裏」と呼んでいて、「天皇」という言葉は使いませんでした。「天皇」は、江戸の人々には馴染みの少ない言葉でした。

③ 将軍宣下

 「将軍宣下」というのは、天皇が徳川宗家の当主を征夷大将軍に任命する儀式です。

これは、将軍にとって最も重要な儀式です。

なぜなら、天皇から将軍宣下してもらわないと将軍になれないからです。

Q 将軍宣下の儀礼が行われるのは、江戸?それとも京都?

 普通に考えれば、次期将軍が天皇のおわす京都に出向くでしょう。3代将軍家光まではそうでした。

しかし・・・。

4代将軍家綱以降は、天皇の勅使が江戸城に赴きました。

さらに、将軍が上座、勅使が下座で宣下を行ないました。

何もかもが逆転しています。

④ 鳴物停止令

 昭和から平成に御代が変わる30年前のこと。昭和天皇様が重体となられてから葬儀までの約半年間は、「自粛」が続きました。

 江戸時代ではこういう時、鳴物停止令というお触書が出ます。将軍とその一族、老中、天皇・上皇のときなどに、静粛・謹慎を強制しました。

さて、問題は、鳴り物を停止する日数です。江戸後期の頃ですが予想してみてください。

 将軍      50    ( 京都 50 )

天皇・上皇    5    ( 京都 50 )

 京都以外は、将軍と天皇の差は歴然です。

⑤ 朝廷の財政事情

 最後は、朝廷の財政事情です。

 天皇家・公家の荘園・領地のほとんどはが押収されています。天皇家の財政は、禁裏御料(皇室の領地)からまかなうのを原則としていました。

しかし、不足が出たときは幕府が立て替えます。これは天皇家の幕府に対する借金です。

他にも臨時の出費があります。

御所の修理・造営、新嘗祭などなど。これは幕府が別途負担します。

こうした事情から、朝廷儀式、神事祭礼は出来なくなっていました。

即位式は滞りがち、大嘗祭、新嘗祭は長く中絶し、石清水八幡宮、賀茂社の例祭、臨時際も長期に渡り行われていませんでした。 

 

2 荻生徂徠の指摘

幕府権力の圧倒的な時代に、警告を発した人がいました。

荻生徂徠(をぎふそらい)という学者です。

荻生徂徠は、「忠臣蔵」の赤穂浪士を処遇するのに困った幕府が頼ったという知恵袋的存在です。

政治論『政談』の中でこのように指摘しました。

「大名たちは、天皇から官位を授けられるのだから、本当の主君は天皇だと思っている。

今は将軍の力が強いのでその威勢に押されて従っているだけ、というのが本心だ。

将軍の威勢が衰えたときは不安だ。

そこで、律令制以来の天皇にまつわる官位制度とは別の、幕藩制国家に相応しい勲階制度を作るべきである」

この不安は、幕末に現実となりました。

幕府を倒す明治維新の先駆けとなったのが光格天皇でした。

                                (続く)

参考図書

・幕末の天皇 藤田覚 講談社学術文庫

・上皇の日本史 倉山満 祥伝社新書