「国際法」

ニュースにもよく出る言葉です。

領土問題や戦争関連のニュースなどで見ます。

最初は、ヨーロッパの国々で合意のもとに成立した国際法が、今は世界の国際法となりました。

国家が行うところの「戦争」を、「法」を通すと違った風景が見えます。

 

1 世の中には戦時と平時がある

対等な主権国家同士の争いが「戦争」です。「戦争」は国家の行為です。

 「戦争」は、格闘技ボクシングと並べると、似た仕組みであることが分かります。 

 

 まず、ボクシングは相手とパンチの応酬で勝ち負けを決めるスポーツです。

相手をダウンさせ、“力の差”が明らかになれば試合終了です。

〔試合前〕 ⇒ 〔試合中〕  ⇒ 〔試合後〕

試合中とそうでない時があります。

対戦相手へのパンチは、試合中のみ認められる行為。これを試合以外でやれば犯罪行為です。

 

国際法の第一は、「世の中には、戦時と平時がある」です。

 〔平時〕 ⇒  〔戦時〕  ⇒  〔平時〕

 「平時」とは国家間が平和なとき、「戦時」とは敵国と戦争状態にあるときです。

 

 交戦国は、「戦時」には交戦権で認められる行為が出来ます。敵の戦意を挫くための戦闘に伴う殺人は認められます。しかし、「平時」に人を殺せば犯罪です。

国際法の第一は、

「世の中には、戦時と平時がある」

ということです。

「戦時」と「平時」を明確に区別しています。

 

2 戦争の始まりと終わり

 ボクシングはゴングで試合が始まり、ゴングで試合が終わります。

 では、戦争の開始時と終了時には何があるのでしょう。

 「宣戦布告」で戦争状態を作り、「平和条約発効」で戦争状態が終わります。

 法的に見て、「宣戦布告」から「平和条約発効」までが「戦時」です。

 

では、大東亜戦争はいつ終わったのでしょうか。

①昭和20年8月14日 ポツダム宣言受諾を通達

②昭和20年8月15日 玉音放送

③昭和20年9月2日  降伏文書調印

④昭和27年4月28日 サンフランシスコ平和条約発効

 日本では、終戦の日を昭和20年8月15日と考えます。この日、天皇陛下の玉音放送がありました。

 法的には昭和27年4月28日の平和条約発効の日が終戦です。

これは日本の公式見解です。

 サンフランシスコ平和条約の第一条にそのことは明記されています。

〔第一条 日本と各連合国との間の“戦争状態”は(中略)この条約が日本と当該連合国との間で効力を生じる日に終了する

 

 

 

昭和16年12月8日から昭和27年4月28日までが「戦時」です。

大東亜戦争は、戦闘期間の後に、占領期間がありました。

占領期間中のアメリカの行為は全て戦争行為です。例えば、

①日本国憲法を押しつけたこと、

②東京裁判で日本の戦争指導者を裁判にかけて処刑したこと、

③諸々の法律を制定したこと、等々。

いずれも「平時」ではなしえないことです。

しかも、このときに出来た体制が現在も続いています。

 

3 平和条約の意味

ボクシングも戦争も、どこかで終わらせなければなりません。

ボクシングは、ダウンなど“力の差”が明らかになれば、試合終了です。

戦争は、両国が落としどころを見つけて勝ち負けを決めます。

負ければ、賠償金をいくら支払うとか、領土を割譲するなどの制裁を受けることで戦争を終わらせます。この話し合いが

『講和会議』

であり、交渉がまとまれば

『平和条約』

を締結します。

そして「平和条約」の発効により、戦時から平時に戻ります。

「平和条約」は双方が合意して締結したもの。

合意して「平時」に戻れば、当然ですが戦時のことをぶり返すことはできません。そんなことをすれば、平時と戦時の区別がつかなくなります。

「戦時」のことを「平時」に持ち込まない。

これが国際法です。

 

岸信介は、戦犯容疑で逮捕され獄中にいた政治家です。平時になって後に国家の指導者として復活しました。 

重光葵は、A級戦犯で起訴され、禁錮七年の有罪判決を受けました。平時になって復帰し、第一次鳩山内閣の外務大臣兼副総理を務めます。在職中の昭和31年12月の国連総会で、日本が国際連合への加盟を全会一致で認められます。重光は、そのとき国連で加盟受諾演説をして万雷の拍手を受けています。

 

戦犯も、平時に戻れば存在しない。

国際法は「戦時」と「平時」を明確に区別します。

 

 

参考図書

・国際法で読み解く世界史の真実 PHP新書 倉山満