我が国日本には、天皇陛下がおられます。

以下、中学教科書からの抜粋です。

◆「日本国憲法は、大日本帝国憲法を改定する手続きにより成立しましたが、天皇主権を否定し、国民主権を基礎とするまったく新しい憲法です」(日本文教出版 中学公民教科書P39)

◆「日本国憲法では、天皇は主権者ではなく、日本国と日本国民統合の象徴となり、その地位は主権者である国民の総意に基づくものと定められました。(東京書籍 中学公民教科書P41)

学校教育は、「戦前の天皇は主権者だったが、現行憲法では象徴にすぎない」と、教えています。中には「国家元首から、象徴に格下げされた」と誤解する人もいないではありません。

しかし、実際の運用を見ると天皇が国家元首であることは、厳然とした事実です。

日本国民にとって、天皇とはどのような御存在なのでしょうか。

〔1〕日本国憲法と皇室典範の位置関係

1 『憲法』と『皇室典範』の法的位置

【問い】我が国の憲法と法律、どちらが上位法ですか。

憲法です。

 憲法 > 法律    

憲法の条文にこれがあります。 

◆『日本国憲法』第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

【問い】『日本国憲法』と『皇室典範』、どちらが上位法ですか。

 『日本国憲法』 > 『皇室典範』   ・・・・・・・・・・・・(1)

◆『日本国憲法』第2条 皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する

『皇室典範』は、国会が制定した法律です。他の法律と同じ扱いです。

【問い】『大日本帝国憲法』と『(旧)皇室典範』、どちらが上位法ですか。

『(旧)皇室典範』  ≧ 『大日本帝国憲法』 ・・・・・・・・・・(2)

『(旧)皇室典範』は、『大日本帝国憲法』と同格若しくはそれ以上です。

『大日本帝国憲法』の「告文」に次の一節があります。「ココニ皇室典範及ビ憲法ヲ制定ス」

明治時代に作られた法体系は、「国務法体系」と「宮務法体系」の二つがありました。

「国務法体系」は、『大日本帝国憲法』を頂点とした法体系です。

それとは別に『(旧)皇室典範』を頂点とする「宮務法体系」がありました。皇室事項を規律するものです。

「国務法体系」と「宮務法体系」は、それぞれ独立しています。ですから、『(旧)皇室典範』の改定や増補は、皇族会議および枢密顧問の諮詢を経て勅諚され、政府や帝国議会は関与できません。

【問い】『皇室典範』は、『(旧)皇室典範』を改定してが出来たのですか。

『皇室典範』は、『(旧)皇室典範』第62条の改正規定によるものではなく、当時の帝国議会で別途に新法律として制定されました。

これにより、『皇室典範』の法的位置は、「憲法と同格」から「憲法の下位」へと変わりました。

この変更は、GHQの圧力によるものです。

連合軍による占領下、憲法草案制定会議の責任者コートニー・ホイットニーGHQ民生局長は、「『皇室典範』も国会が制定するのでなければ、『天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく』という国民主権の精神にそぐわない」

と押し切りました。

 

2 『皇室会議』の不自然さ

皇室の大切なことを決める『皇室会議』があります。組織の構成を確認します。

◆『皇室典範』第28条 皇室会議は、議員十人でこれを組織する。

10人の内訳は ①衆参両院の議長・副議長 ②内閣総理大臣 ③宮内庁の長 ④最高裁判所の長・その他の裁判官1名 ⑤(  )2名 となっています。

【問い】 (  )は誰が入るでしょう。(皇族。皇族の議員はたった2名)

【問い】 議長は誰でしょう。    (内閣総理大臣)

【問い】 召集するのは誰でしょう。 (内閣総理大臣)  

【問い】『皇室会議』に天皇の臨席はありますか。(ない)

 皇室のことを、国民は関与できるが、家長である天皇の権限は及ばない。これが『皇室会議』です。

 『皇室会議』を一般の家に当てはめてみましょう。

山田太郎さんは、自分の跡目(後継者)をどうするかという問題で、家族会議を開きました。

【問い】名称は「山田家会議」とします。構成員に山田家から何名入りますか。 ( 2名 )

【問い】残り8名は、どんな人が考えられますか。(自治会の長・副 会計 書記 地元議員 等々)

【問い】会議の進行役は誰ですか。(自治会長)

【問い】召集は誰がしますか。  (自治会長)

【問い】山田家の家長である山田太郎さんは、会議に出席できますか。(できません)  

山田太郎さんは、家の家長であるにも関わらず、自身の家の跡目を決められない。不自然な仕組みです。

 

3 『皇族会議』の組織は皇族

同様に、『(旧)皇室典範』に『皇族会議』の条文があります。

『皇族会議』の構成員を見ましょう。

◆ 第五十五条 皇族会議は成年以上の皇族男子を持って組織し、内枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長をもって参列せしむ

◆ 第五十六条 天皇は皇族会議に親臨し又は皇族中の一員に命じて議長たらしむ

構成員は全員“皇族男子”で、天皇の親臨があります。

この『(旧)皇室典範』は、伊藤博文や井上毅らが中心になって作りました。

ドイツ法律顧問ヘルマン・ロエスレルは井上・伊藤に「日本においては皇族に関する一切の規定を家憲に譲れ。この家憲は公布の必要なし」と教示しました。同じく、ドイツの法学者ローレンツ・フォン・シュタインからは「皇室の家法」を作るよう勧められました。

『(旧)皇室典範』の成り立ちは、皇室の私法(=家憲)です。

 

〔2〕日本国憲法と日米安全保障条約の位置関係

4 日本有事に動く米軍

【問い】『日本国憲法』と『(行政府が結んできた)条約』、どちらが上位ですか。  

  憲法 > 条約        ・・・・・・・・・・・・・・・・(3)

『(行政府が結んできた)条約』は、議会(立法府)が批准して初めて効力を発します。憲法と条約に齟齬が生じた場合、おそらく、条約を捨てて憲法を取るでしょう。主権国家の最高法規である憲法が、条約より下位規範だというのはあり得ません。

【問い】『日米安全保障条約』と『日本国憲法』、どちらが上位ですか。

 (3)から考えると、上位は『日本国憲法』ですが・・・。

 『日米安全保障条約』 > 『日本国憲法』    ・・・・・・・(4)

 

東日本大震災で、米軍は「トモダチ作戦」を行いました。地震発生から3月28日までの米軍の活動は、出動艦艇19隻、航空機133機、人員18000人、輸送した救援物資240トン。日米の絆を感じました。

しかし・・・。

ここで重要なことは、「トモダチ作戦」は、地震発生の翌日(3月12日)に、日本政府とは関係なく発動していたということです。政府の要請なく、仙台空港を修理しました。建前上、相手国の正式な要請なく、軍事行動を起こせば、相手国に対する主権侵害となります。つまり、侵略行為です。ところが、日米間でまったっく問題になっていません。

 

どの国でも“有事”の時どうするかは、憲法に定められています。

ここでの“有事”とは、国が滅びそうな事態、例えば、政府の機能不全・大規模災害・内乱による秩序破壊などを指します。他国との戦争状態(戦時)のことではありません。政府は機能しています。

「“有事”には、“平時”は憲法に従い自制している“統治権”を発動し、秩序を回復する。そして、秩序が回復したら、再び“平時”に戻る」 

 この役割を担うのは、通常、軍です。警察は政府の命令で動く組織です。政府がなくては動けません。軍は、軍だけで自立できる組織です。ですから、軍の統制は、命令(コマンド)ではなく統制(コントロール)です。

 日本の場合は、どうでしょう。

 『大日本帝国憲法』下の日本では・・・。天皇は、『大日本帝国憲法』第一条で確認された「統治権」を持つ唯一の御存在です。日本が「いざ」というときの切り札とも言えます。2・26事件のとき、終戦の御聖断のときが、そうでした。

『日本国憲法』下の日本では・・・。“有事”の規定はどこにもありません。

【問い】 日本“有事”の時はどうするのでしょうか。

「米軍が動く」

『日米安全保障条約』は、サンフランシスコ講和条約と同時発行です。

内容を抜粋します。

◆『(旧)日米安全保障条約』前文

「日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。(中略)日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する」

◆日米安保条約第6条

「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国に於いて施設及び区域を使用することを許される」

これを補うかのように、こういう条文があります。

◆  『日本国憲法』第98条 2項 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。   

『日米安全保障条約』は、米国が交戦権を持たない日本を守ることを前提としています。米軍が日本国内で自由に動けるようにするために、米国は『日米安全保障条約』を『日本国憲法』の上に置きました。

今の日本は、『日米安保条約』と『日本国憲法』によって、“有事”の際の機能回復の役割を“米軍”に委ねられています。

 

5 砂川事件の最高裁判決

このことに関して、昭和34年に重要な最高裁判決が出ています。

「砂川事件最高裁判決」です。

米軍基地拡張に反対するデモ隊の一部が、立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数メートル立ち入りました。7名が起訴。

第一審では、全員が無罪判決。

「日本政府がアメリカの駐留を許容したのは、『日本国憲法』第9条により禁止されている戦力保持にあたり、違憲である」

 「『日米安全保障条約』及び米軍の駐留は、『日本国憲法』第9条に抵触する」というわけです。

判決の翌年(昭和35年)は、安保改定の年。米国政府このままにはできません。日本政府に圧力を掛けます。その意向を受け、日本の司法が動きました。最高検察庁は最高裁へ上告し、最高裁は速やかに結審しています。

そして、最高裁判決要旨は次の通り。

「憲法第9条は、我が国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない」

つまり、「『日米安全保障条約』及び米軍の駐留は、『日本国憲法』第9条に抵触しない」というわけです。これで、日本国憲法にかかわらず米軍が動けます。

 

ここまでを整理します。

  『日米安全保障条約』 > 『日本国憲法』 > 『皇室典範』  ・・・・・(5)

 

〔3〕天皇の“シラス”国

6 天皇のお力

平成23年3月11日、東日本大震災とこれに伴う福島第一原子力発電所事故がありました。

 福島第一原発の爆発で、菅政権は機能不全に陥りました。

米国・米軍は、自分たちで情報収集していました。

原発の被害状況は、天皇陛下には一切伝えられていなかったといいます。しかし、天皇陛下と米国政府は、震災当日から直で情報の交換をされていたということです。

 そして16日夕方、天皇陛下は国民に向けて、ビデオでお言葉を給いました。

米国・米軍は、天皇陛下の御言葉により、沿岸で待機していた戦闘態勢の第七艦隊空母打撃軍から航空機や揚陸艇を現場に投入しました。

ケビン・メア氏は著書『決断できない日本』の中でこう述べています。

「災害に際して陛下がテレビに登場し、お言葉が伝えられるのは前例のない事でした。陛下の御言葉ほど、日本が直面している危機の深さをはっきりと知らせてくれるものはなかったのです」

「米国政府の菅政権に対する不信感は強烈といってもよいものでした。アメリカ政府は16日、藤崎一郎駐米大使を呼び、日本政府が総力を挙げて原発事故に対処するよう異例の注文を付けました」

米国は、陛下の玉音放送を梃子にして日本政府に働きかけたのです。

 

天皇は『日本国憲法』で定められたお立場があります。

しかし・・・

東日本大震災という国難に際し発せられた「平成の玉音放送」は、『大日本帝国憲法』下での「緊急勅令大権」の発動そのものです。国民の精神的な支えとしてだけでなく、他国まで動かし事態収拾に向かわせる具体的な力となりました。現憲法の規定を超えた御行為です。“死んだ憲法を墨守”して、国を亡ぼしかねない愚を犯す無責任さとは次元が違います。“国政に関する権能を有しない”天皇が、「いざとなれば私が動く」ことを行動で示され、国を救われました。

 

7 天皇の“シラス”国

近代西洋の立憲君主制は、「君臨すれども統治せず」。憲法が君主の上にあります。

   憲法 > 君主  

もともと西洋の君主国では、「君主・特権貴族」と「民」は、「支配者対被支配者」の関係でした。力で支配・領有(ウシハケル)する絶対主権者の立場です。「主権」とは、神(God)の絶対権力を代行する力のこと。君主にとって民は家畜・財産の扱いです。君主は、主権者として民に対して本当にそのように振る舞いました。

19世紀に入り、ようやく民意が向上します。王様も人民もなく、一つの国にまとまろう。今まで対立してきた君主・特権貴族・人民が一つにまとまるのですから大変な苦労です。そのためのルール、これが憲法です。

しだいに「ウシハケル」君主国の王は消えていきました。

 

我が国日本はどうでしょう。

7世紀末に出来た『万葉集』があります。天皇もホームレスも同じ日本語で歌を詠み、それが一冊の本にまとめられました。日本国の民は「大御宝」だというのが、連綿と受け継がれています。土地も民も領主の私有物ではありません。公のものという考え方で国を作っていこうとしました。「公地公民」です。領主が民を勝手に家畜のように扱うわけにはいかないのが、日本です。

古来、“祭りごと”と“政”は一つ、「祭政一致」が基本です。そして、天皇は、最高“権威”として祭事を行い、“権力”を行使する政治には直接携われない。権威と権力は分離しています。その権力は権威から授かります。

天皇には、欧州の君主制にみるような王権も政治の実権も権力もありません。国と民のためにひたすら祈られる天皇が今も変わることなく続いています。

人民が天皇に対して革命を起こすことが一度もないのが、西欧の国との違いです。

 

このような日本統治の原型は、日本の神話に見られます。

<「古事記」の『国譲り』の物語>

天照大御神の命を受けた建御雷神が、地上界の支配者大国主命に談判します。

「汝が“ウシハケル”葦原中国は我が御子の“シラス”国と言依さし賜えり。かれ汝が心いかにぞ」

大国主命はこれを聞いて、それまで自分が治めていた国を皇孫に譲り渡すことにしました。その後、天から皇孫邇邇芸命が地上に降臨されました。

“シラス”統治

これは、民の心を知り、高天原の神の心とつながり、民と一つになって国づくりをすることです。

平成28年8月8日の今上陛下の御言葉は、次のように締めくくられています。

「このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのようなときにも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しました。国民の理解を得られることを、切に願っています」

我が国の天皇は、「シラス=国民とともにある」からこそ、今もいらっしゃるのです。

 

 

< 本文作成の基にした主な文献 >

伊藤八郎『古事記神話入門』(光明思想社 平成24年8月25日)

矢作直樹『天皇の国』(青林堂 平成29年8月18日)

倉山満『帝国憲法の真実』(扶桑社 2014年5月1日)