「原爆投下」と「ソ連参戦」

 

72年前、日本は世界の国々を相手に唯一国で闘っていました。

 

1 ポツダム宣言

昭和20年(1945年)7月26日、ポツダム宣言が発表されました。

ポツダム宣言は、アメリカ、イギリス、中華民国の、日本に対する降伏の要求です。

日本は、ポツダム宣言に言う条件を受諾し、降伏しました。

ポツダム宣言発表から受諾までに、たいへんな出来事が起きています。

 

2 トルーマンの原爆投下命令

 ・7月26日 ポツダム宣言発表  

 ・8月6日  広島原爆投下    

 ・8月9日  長崎原爆投下    

 ・8月14日  ポツダム宣言受諾 

さて、「日本の降伏が遅かったので原爆を投下された」という主張があります。

もし、この主張通りならば、原爆投下命令は、7月26日から8月6日の間に行われたはずです。

ところが、アメリカのトルーマン大統領が原爆投下の命令を出したのは、7月25日です。

初めから落とすつもりだったことになります。

 

3 ソ連の仲介依頼

では、日本政府はどうして8月14日まで、ポツダム宣言を受諾しなかったのでしょう。

その原因は、4年前にさかのぼります。

昭和16年(1941年)、日本の松岡外相とソ連のスターリによって、「日ソ中立条約」が結ばれました。他国と戦争をするときは、お互いに中立を守るという約束です。

ポツダム宣言が発表される前、日本は戦争を続けることは不可能と判断し、ソ連に仲介を頼みました。ソ連はそれを引き受けました。ソ連は日本に対して、

「ポツダム会議があるので、そこで米英の真意を確かめてくる。ポツダムからモスクワに戻るのは8月5日だから、返事はその後で」

と伝えてきました。

日本はどうしなければなりませんか。

ソ連の返事を待つ。

 

4 ソ連の宣戦布告 

ところが、ソ連は8月8日にとんでもない行動にでます。

日本に対し宣戦布告。

すでに極東に結集していたソ連軍150万は、怒涛のように満洲、朝鮮に攻め込んできました。樺太や千島列島への侵攻も始まりました。

ソ連の行動は、その年の2月に行われたヤルタ会談で約束されていたことでした。

日本が頼りにしていたソ連は、仲介依頼の時は、もうアメリカ、イギリス側についていたのです。

 

そうした中で、日本はポツダム宣言を受諾することを決めました。

 

 

参考・引用文献

・ポツダム宣言の授業 伴一孝氏

・アメリカの戦争責任 PHP 竹田恒泰著