~ 皇位はなぜ男系でなければならないのか ~

 

我が国は公称2677年、神代の時代から続く世界一古い王朝を戴く国です。

建国以来、「神武天皇から続く皇族の子孫が皇位を継承する」を繰り返してきました。

このシンプルな原則を守り続けてきたのです。 

どのようにして・・・・・。 

〔1〕皇位と皇統 

皇位は一つの家系で125代続いてきました。

初代神武天皇から第13代成務天皇までは父から子、父から子へ継承されました。

第14代仲哀天皇は、成務天皇の甥(兄の子)です。

何親等離れていますか?

三親等。 

仲哀天皇の父である「日本武尊」は、天皇ではありませんでした。

皇位継承は「父が天皇」でなくてもいいのです。

大原則はこれです。

「父親をたどっていけば天皇に繋がる」

これを「男系」と言います。

 

図3の系図は、後桃園天皇まで続く幹(直系)と、2つの枝(傍系)でできています。

皇位の継承は、後桃園天皇から傍系の光格天皇へ引き継がれました。 

何親等離れていますか?

7親等。曽祖父の弟の孫です。

もはや、顔を知らない、どこで何をしている人かもわからない、そんな関係だったのではないでしょうか。

直系の男子が絶えたとき、傍系の男子を探し求めて皇位を継承したのです。

 

傍系に移ったことで、幹と枝が入れ替わりました。後桃園天皇まで続く幹は枝になり、一方、光格天皇まで続く枝が幹になりました。

幹をつくるこの太い線を「皇統」と言います。

 

もう一例。

※ 図5の代は、神皇正統記の数え方に従いました。

第26代武烈天皇から第27代継体天皇へ皇位が移りました。何親等離れていますか?

10親等。応神天皇の五世の子孫です。

武烈天皇は兄弟も男のお子様もなく、崩御されました。そこで皇位継承者を探し求めて、やっと越前の片田舎にいらっしゃった方を継体天皇としてお迎えしました。

直系の男子が絶えたとき、これほどまでにして傍系の男子を探し求める努力がなされました。

 

第16代応神天皇のお名前のところに数字があります。

16は「皇位」を表し「16代」と数えます。〇囲みの15は、「皇統」を表し「世」と数えます。

応神天皇は第16代天皇で、皇統第15世です。

応神天皇から継体天皇に至る4方「隼總別皇子・大迹王・私斐王・彦主人王」は、天皇ではありませんが「皇統第16世・第17世・第18世・第19世」となっています。 

<幹>を作っているのは血統です。皇位ではありません。

天皇でない方がいらっしゃることからもわかります。 

 

〔2〕女性天皇のお役目 

第42代文武天皇から第45代聖武天皇に皇位は継承されるはずでした。(図の黄色矢)

ところが、実際は、文武天皇(父)→元明天皇(祖母)→元正天皇(叔母)→聖武天皇(図の赤矢印)でした。

そのわけは、元正天皇の詔にあります。

「天皇の位はあなた〔聖武天皇〕の父である文武天皇があなたに与えるはずだったけれども、〔病を得たときには〕あなたがあまりにも幼くて荷が重すぎると考えられて、皇祖母〔元明天皇〕に位を譲られた。元明天皇はその位を私〔元正天皇〕に譲られるときに、我が子〔聖武天皇〕に間違いなく伝えなさいと詔された。その位をあなたに伝えます」

文武天皇の母親〔元明天皇〕は、聖武天皇に確実に皇位を継承させるため、まず、自ら皇位に就きました。

次に皇位を譲られた元正天皇も、聖武天皇に確実に皇位を伝えることが自分の役目だと自覚なさっています。二方は、中継ぎとして即位されたのです。

女性天皇は過去に十回ありました。推古天皇、皇極天皇(=斉明天皇)、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇(=称徳天皇)、明正天皇、後桜町天皇です。皇極天皇と孝謙天皇は二度天皇におつきになられたので、八方十代です。

 

ここで、女性天皇 女系天皇の意味を整理してみます。

①~④は、歴史上いらっしゃったでしょうか?(※ 「日本一やさしい天皇の講座」P37より)

① 男系男子 天皇の男のお子様が天皇になる 先例あり〇

② 男系女子 天皇の女のお子様が天皇になる 先例あり〇   

③ 女系男子 男系女子と民間人との間に生まれた男のお子様が天皇になる 先例なし×

④ 女系女子 男系女子と民間人との間に生まれた女のお子様が天皇になる 先例なし×

①②の男系というのは、「父親だけをたどっていくと天皇に繋がる」天皇です。

③④の女系とは、「母方を通さないと天皇に繋がらない」天皇です。

女系天皇は、過去に一度もありません。

 

②男系女子の先に③女系男子や④女系女子があることが分かります。

つまり、②男系女子は、「女系」の入り口です。

さて、②の女性天皇は八方いらっしゃいました。

しかし・・・・、

推古天皇 即位の際、敏達天皇の未亡人でその後結婚されず。

皇極天皇 即位の際、舒明天皇の未亡人でその後結婚されず。

元明天皇 即位の際、草壁皇子の未亡人でその後結婚されず。

元正天皇 生涯独身

孝謙天皇 生涯独身

明正天皇 生涯独身

後桜町天皇 生涯独身

女性天皇は全て未亡人か独身です。たまたまこうなったと思いますか?

 

さて、女性皇族の方が結婚されるとどうなるでしょうか。

紀宮さまは黒田慶樹さんと結婚なさり黒田清子さまとなられ、皇籍を離脱なされました。

高円宮家の次女・典子さまは、出雲大社の千家国麿さんと結婚され、皇籍を離脱なされました。

秋篠宮家の眞子さまは、小室圭さんと結婚なさると小室眞子さまとなられ、皇籍を離脱なされます。

皇族女性は、結婚すれば皇籍離脱。なぜですか?

女系天皇を生まないため、です。

 

女系天皇は先例がありません。

しかし、先例になりかけた事件があります。

それが、道鏡事件。

称徳天皇(=孝謙天皇)は独身で子供がいません。天皇は、お坊さんの道鏡を非常にかわいがりました。道鏡は政治の最高権力者に上り詰め、ついに天皇の位を狙いました。しかし、和気清麻呂の働きによって、道鏡の野望は消え失せました。 

 

〔3〕女性宮家は皇統断絶をまねく  

現在、皇統を継ぐ男子は、悠仁親王殿下が最後です。成人になられてご結婚されて、男子が出来なければ皇室そのものが断絶しかねません。

過去にも断絶の危機があり、それを乗り越えた事例があります。

江戸時代中期、東山天皇の時代に宮家が新設されました。

宮家というのは、皇室にお世継ぎがいらっしゃらない時の備えです。

東山天皇や政治家の新井白石は皇位継承を不安に思い、閑院宮家を新設します。当主は、東山天皇の六男直仁親王。

そして70年後に見事にその役割を果たしました。光格天皇は、現在の皇室に繋がっています。

繰り返しになりますが、宮家というのは、皇室にお世継ぎがいらっしゃらない時の備えです。

天皇陛下の譲位に便乗するようにして、女性宮家創設が浮上しています。皇族女性は結婚後も皇族に留まっていただき、皇族減少を防ごう、という意図のようです。

しかし、そこに皇位継承問題が隠れていることを見逃してはなりません。

 

仮に、愛子内親王殿下が藤原さんとご結婚されたとしましょう。

この方は皇族となるのでしょうか?

もし皇族となり、さらに天皇となれば、平成の道鏡事件です。

このことに関して、10年以上侍従長としてお仕えした渡辺氏のテレビ発言です。

「皇族とするのが自然。皇室はあまり不自然なことをなさらない方がいい」

渡部氏は『女性宮家』創設で女系天皇の道をつくるつもりなのでしょうか。 

  

神武天皇の血筋を受け継ぐ愛子様と「藤原」さんの間に生まれた子供は、「藤原の家系」に属する方というのが世界共通の見方です。

家系は男性により次の代へ受け継がれます。

もしこの方が天皇に就いたら、「藤原王朝」の誕生です。

その瞬間 神武天皇から続く男系の皇統は終わり、太古から続いてきた日本は滅びてなくなります。

 

 「2677年の歴史」を失なえば、二度と取り戻せません。

皇位継承問題は、まず過去の事例を正確に探し求め、次にその先例に基づいた伝統を踏まえて解決方法を見出すことが大切です。

 

引用参考文献

「日本一やさしい天皇の講座」倉山満 扶桑社新書

「別冊正論 皇室の弥栄 日本の永遠を祈る」 産経出版社

「撃論 女性宮家は、天皇制廃止の共産革命」オークラ出版