4月7日は、戦艦大和が撃沈された日です。
昭和20年4月5日、戦艦大和は海上特攻の出撃命令を受けます。帰還のない作戦です。
昭和20年4月6日、沖縄に向かって出撃します。
満足な航空機の援護はありません。制空権がないということです。
昭和20年4月7日、沖縄に向かう途中米航空隊の攻撃を受け、最後は大爆発を起こして沈没します。
「沖縄県民は、沖縄戦で本土防衛の捨て石とされた」という考えがあります。
学校でも、そのように教える先生がいます。
沖縄戦の特徴は、
①官民軍ともに戦ったこと
②多くの神風特攻隊の出撃があったこ
とだと思います。
沖縄戦戦没者数は敵味方合わせて約20万人でした。
内、米軍は12520人で6.2%です。
日本側を、軍人と民間人に分けて見ます。
軍:県外出身将兵 65,908人
軍:沖縄県出身将兵 28,228人
民:戦闘参加者 55,246人
民:一般住民 38,754人
知覧特攻平和会館HPの「航空特攻作戦概要」をもとにします。
http://www.chiran-tokkou.jp/learn/summary/index.html
沖縄に向けて特攻機が出撃しました。戦死した隊員1036名の出身県はどこが多かったでしょうか。
一番多かったのが東京(86名)。そして福岡(43名)鹿児島(40名)と続きます。
では、出身のない県はあったでしょうか。
ありません。全都道府県に戦死者がありました。
全国の若者が沖縄に向かったのです。
アメリカは、九州と台湾にある航空基地を攻撃します。
「神風による米海軍の被害は耐え難いものがある」との要請を受けたためです。
しかし、神風の攻撃はやみません。
沖縄の米海軍は、「なお数日、神風の攻撃が衰えない場合、アメリカ艦隊は一時退却して、再挙の方法を考えるべし」という考えに傾いたそうです。
戦艦大和も神風特攻隊も沖縄を救うことはできませんでした。
しかし、日本最後の世界最大の戦艦も2800の特攻機も、沖縄のために出撃したのです。
沖縄は日本の「県」です。沖縄戦は本土決戦ではないでしょうか。