識字率は世界一! 江戸の寺子屋教育

 

江戸時代の寺子屋教育の様子を紹介します。

「日本人の気概を育てる道徳教育」(明治図書)をもとにしています。


今の学校の授業風景とはずいぶん違いますが、明治維新の原動力となりました。

 

1 寺子屋は個別指導
江戸時代、武士の子供は「藩校」と呼ばれる学校で勉強しました。
当時の武士の人口は全体の5%ほどです。
圧倒的に多かった一般庶民の子供たちの教育はどうなっていたのでしょう。
一般庶民の子供が行く学校が
寺子屋 (よく間違えるのが「寺小屋」)

写真(略)「明治時代」と「寺子屋」の勉強風景
この絵から、どんな学習方法だったかが分かります。
  
明治の学校は、掛図を使った一斉指導。

 

寺子屋は、自学自習の個別指導。
〇教科書があります。
〇師匠と呼ばれる先生がいます。
〇一人一つの机がありますが、向きはバラバラ。
〇子供の年齢もバラバラ。
〇寺子屋に来る時間帰る時間も子供によってまちまち。
〇勉強内容は、実用的なことが多かったようです。

〇義務教育じゃないので、月謝をはらっていました。

 

今の学校の授業形態は、明治に作られて、現在に続いているものです。

 

余談ですが、
日本人の今の歩き方は、明治時代を境に、学校で教えることで変わりました。
江戸時代までは、右足と左手を同時に前に出すナンバ歩きでした。
某宅配会社のマーク「飛脚」は、左足と左手が前のナンバ走りです。

 

2 体罰
寺子屋には体罰はあったでしょうか?
江戸時代と同じころヨーロッパで行われていた教育は、少人数の恵まれた家庭の子供たちを対象にした教育でしたが、先生は、ムチを持ちながら勉強を教えるというスタイルでした。
寺子屋教育は、さまざまな階層の子供たちが楽しくいたずらをしながら勉強をするという雰囲気でした。   
日本に来た外国人がこれを見て言ったそうです。
「親は子供の面倒をよく見るが、自由にあそばせ、子供がどんなにやんちゃでも、叱ったり懲らしめたりしない。
その程度はほとんど溺愛に達しており、かられ程愉快で楽しそうな子供たちは他所では見られない」

 

3 識字率
今の小学校は全国で約2万3000校。
寺子屋はこれより多かったでしょうか、少なかったでしょうか?
ほぼ同数。(倍の数あったという説もありました)
規模は、大体20人くらいで、中には100人もいた寺子屋もあったそうです。
江戸時代の終わりころ、

識字率は50パーセントぐらいでした。
同じ時代のヨーロッパ、中でもイギリスはどれくらいだったと思いますか?
20パーセント。
日本はこの当時、識字率世界一でした。
文字の読み書きは生活するのに必要不可欠でした。
商人は読み書きそろばん。
農民は年貢の取れ高を自分で報告しなければなりません。
法令や通達は立て看板や手紙で知らされていました。

 

4 モノづくり大国日本の基礎
寺子屋を卒業した子供たちはその後、どうしたのでしょうか。
次の学校へ行ったのか、それとも働いたのか?
男子は12歳ぐらいで奉公に出ました。物作りの技術を学んだのです。
10年ぐらい修行して一人前になります。
「質の良い人形を作るためには、遅くとも12歳くらいに仕事に入って、手が小さくて柔軟なうちにその感覚で体で覚えてしまうことが必要だ。
今みたいに大学を出てからでは無理だ。あのような質の高い人形はもう作れないだろう」
『江戸の遺伝子』(徳川恒孝著)より