外国語習得は、日本語修得の従たるべき | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 もっと国際化を、だの、外国では云々だのと言うのは、いわゆるサヨクやらの人々に多いようにも言われるようだ。しかし、「保守」を自称するような人の中にも、世界にもっと英語で発信を、等と言っている人は少なくないようである。

 確かに、我が國の歴史や文化を諸外国に知らしめることは、有益なこともあろう。それを全否定するつもりはない。しかし、「保守」を名乘る者が、日本の保守は英語ができないからダメなのだ、などと、他の保守層をバカにするようなことを言っていると、辟易する。こういう者共は、欧米に留学していたり、欧米で働いたことがあったり、という者が多いようだ。

 別に、外国語が得意なことが惡いことではない。外国人と、日本語に加えるにその外国人の母国語たる外国語もまじえて交流し傳えることができるということは、良いことであろう。

 しかし、英語が得意であることを自慢し、他に押し付けたり、英語不得意者をバカにしたりする者は、「保守」と自称していても、實は日本をバカにしているのではないかというようにみえる。

 よくよく考えてみるまでもなく、おかしいであろう。何故に、日本のことを外国人へ傳えるに、日本語ではなく外国語で伝えることのほうが大事になるのだ?。外国人が日本の事を知りたければ、まずは何よりも、日本語を習得させ、しかる後に日本語にて學ばせるのが、どう考えても正道であろう??。その補助として外国人の母国語である外国語を交えるというのならまだしも、我々日本人が皆英語を習得して英語にて日本の事を外国人に伝えねばならぬなどというバカなことがあるものか。

 こんな英語万歳の輩は、實は、アメリカやらを日本より上に見ているのではないか。アメリカの属国然たる日本とすることを目指し、それをもって利益をえようという属国奴連中も少なからず居るのだろう。アメリカの工作員かもしれぬ。

 ともかく、日本の事は、世界に對しても、日本語をもって發信すべきものだ。そのために必要なことは、我々日本人が外国語を習得することなどは、二の次であり、まずは、外国にも日本語を擴めることである。

 そもそも、日本は、國家として肇國以來二六八二年にわたる、さらに、世界最古の文明とも言われる縄文文明發祥からは、一万年以上にわたり、連綿と歴史を紡ぎ、文化をつくってきた。そして、それとともに、暹化發展してきた日本語ではなく、輕薄かつ背景文化も全く異なる外国語に、ましてやその中でも浅いアメリカ英語ごときで、正しく日本のことが傳えられるわけがないではないか。

 我々日本人に外国語の習得が必要であるとすれば、それは、日本文化の礎たる、さらに世界文明の礎ともなるべき日本語を世界に擴めるための道具として外国語を習得するということが第一たるべきであり、外国語敎毓もまずはそれを意圖してなされるべきであろう。

 

紀元二六八二年 令和四年 九月一七日