ふじみ野在宅醫師銃撃事件について | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 AERAdot.より。  

 ”全国の在宅医を震撼させる事件が起こった。埼玉県ふじみ野市の住宅で、1月27日夜、男が散弾銃を発砲し、医師の鈴木純一さん(44)らが死傷した立てこもり事件が発生。殺人の疑いで送検されたのは、住人の渡辺宏容疑者(66)。胸を撃たれて死亡した鈴木医師は、事件前日に亡くなった容疑者の母親(92)が数年前から利用していた在宅クリニックの担当医師だった。
 渡辺容疑者は、母親と二人暮らし。仕事はしておらず、一人で母親を介護していた。母親の死亡は、かかりつけ医である鈴木医師らが確認。渡辺容疑者は、鈴木医師を含む在宅クリニックの関係者数人を名指しで指定し、「27日午後9時ごろに焼香に来てほしい」と呼びつけた。鈴木医師ら男女7人が自宅を訪れると、死後1日以上が経過している母親を前に、「生き返るはずだから心臓マッサージをしてほしい」と依頼。鈴木医師らが蘇生は難しい旨を説明して断ると、散弾銃を取り出して発砲したとみられている。容疑者は警察の調べに対し、「医師やクリニックの人を殺して自殺しようと思った」などと供述しているという。”

 この事件も、次第に事實關係が明るみになってきているようだ。しかし、明るみになればなるほど、どうしてこのような輩が、危険極まりない散彈銃など持っていたのか、というところにたどりついてしまう。

 鈴木先生をはじめ、在宅醫療機關の方々に、全く落ち度は無い。それどころか、”地域の8割の在宅患者を担当していた”という、地域にとってはかけがえのない先生であった。もし、その鈴木先生に、無理矢理ではあるが落ち度があったとすれば、過度の親切、であろうか。

 ”今回の事件のように、家族から「焼香に来てほしい」という連絡が医療機関に入ることは、複数の在宅医や看護師が「普通はありえないこと」だと首を振る。在宅医の仕事は、患者の死亡診断書を書いた時点で契約が終わるからだ。”

 そのとおりである。鈴木先生は、焼香になど行く必要はなかったし、本來なら行くべきでもなかったのだ。

 しかし、鈴木先生も、容疑者の依頼があったからと、ノコノコはいはいと出かけていったわけではなく、熟慮し、職員みんなと話し合った末での結論・行動だったのだろうと思われる。”自身を含む関係者7人という大所帯で容疑者宅に弔問に訪れていた。”からだ。普通は、往診醫が患者宅を往診する際は、さすがに單身でいくことはあるまいが、自身に事務職員、それに看護師と、せいぜい三人位で訪れるものだろう。何かただならぬものを感じていたからこそ、念のため用心し、全員で訪問することにしたと思われる。

 しかし、散彈銃というのは、あまりに想定外であった。ということで、何故にここに散彈銃が、ということになるのである。

 やはり、散彈銃の規制は必要であろうし、一般人の武装解除が完遂するまでは、往診醫師に、警察の護衛をつけることも、検討されるべきであろう。

 

紀元二六八二年 令和四年 二月一三日