日本は戰後始まったわけでも國がかわったわけでもない | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 我が國は、二六八二年に及ぶ、世界随一の歴史を持つ國家だ。一万年以上前から續く、世界最古の文明たる縄文文明を土臺として、おそらくいわゆる弥生時代の始まりとともに間もなく、神武天皇の東征を經て肇國となり、現在に至る國家である。

 しかるに、現在、少なからぬ人が、あたかも今の日本が第二次世界大戰後に生まれたかのような、あるいは、戰後新しい別の國として誕生したかのように錯覚しているかのようにも見える。これは、サヨクやパヨクといった輩ばかりでなく、ネトウヨもともかく、保守、右派を自称する人々さえも、だ。

 すなわち、日本国憲法とやらを、最高法規として絶對視し、本來は國體の根幹つまり國家元首を超える御存在であらせられてきた天皇陛下御皇統を、単なる日本国憲法とやらに規定された象徴存在か、せいぜい他の國家元首同列となす。そして、戰前の日本は、とりわけ、靖國神社に参拝することを自慢する自称保守でさえも、ドイツと同盟して鬼畜米英撃滅の正論をとなえていた戰中日本は惡であるとして、あたかも別の國のごとく扱いたがる者すら居るのである。

 不思議なことだ。そういう人達にも、祖父母は居るはず、もしくは居たはずであり、その祖父母の多くは戰前生まれであろう。その祖父母が幼少の頃に従っていたはずの、大日本帝國憲法や敎毓勅語を、どうして、無かったこと、あるいは過去のこととして、戰後日本を上位となしそれに従えるのであろうか。

 戦後教育のせいだと言えば、それはそうであろうが、学校でいくら戦後教育がなさえていたとしても、戰後間もなくは、家に帰れば、戰前の敎毓を受けたはずの、父母、祖父母が居たであろうに。

 ともかく、戰後日本など、たかだか八十年に過ぎぬ。二六八二年に及ぶ我が國の歴史に比べれば、ほんの一部に過ぎない。明治維新にて一氣にひっくり返ってしまった江戸時代に比べても、まだ三分の一に過ぎぬ。日本のあり方として戦後日本を絶對視するに足る歴史的根拠など、無いはずなのである。

 とはいえ、そろそろ戰後日本は、明治維新以來ポツダム宣言受諾までの年月には匹敵する長さになってしまう。この令和時代には、國體正常化をすべき、そういう時代であると言えるのではないか。

 戰後、あれだけ簡単に戰前戰中の正しい體制が、戦後体制に変わってしまったのに、その逆ができないということも、そうしてはならぬということも、絶對に無いはずだ。

 今の戦後体制が、いかにおかしな成り立ちであるかをできるだけ多くの人々に知らしめる。まずはここからであろうか。

 

紀元二六八二年 令和四年 九月一五日