西暦を利用する共産党支那の不思議 | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 共産党が支配する、今の支那というのは、實に不思議な国だ。歴代支那の王朝と比べても、同じ支那の国とは思えぬ異質さである。支那共産党政権も、一應、四千年の歴史だのと、歴史の長さを自慢しているようにはきこえる。しかし、それは、うわべだけのようで、實際には全く支那の歴史を尊重しているようにはみえないのだ。

 その一例が、年紀である。支那は、年紀に、西暦を用いているのだ。西暦は、基督教の始祖イエスキリストなる者の誕生年とされる年を、元年として数える年紀法である。キリスト教国を中心に、今や、世界中に広まっている年紀法で、我が國にても、元號や皇紀紀元とあわせて、副次的に利用されているのは、御存知のとおりだ。

 キリスト教は、支那でできた宗教ではなければ、イエスキリストも、支那生まれでもなんでもない。支那史においては、大帝国なりに宗教にも寛容であった唐の時代に、ネストリウス派基督教が、景教と呼ばれて流行ったとは聞くが、それは一部の時代の一部の民だけで、今の支那共産党政権は、そもそも宗教を否定している。その否定している宗教の、それも支那とはほとんど縁も所縁もないキリスト教の、始祖の誕生年とされる年紀を、よくも恥ずかしげも無く使えるものだ。

 支那はメンツ(面子)の国ではなかったのか?。それとも、そのようなものは簡單に地面に打ち付ける、メンコ(面子)の国の間違いか?、と、皮肉の一つも言いたくなるというものである。

 支那の王朝は、たとえ征服王朝であっても、日本のように、歴代、元號を使ってきた。というより、日本の元號は、元々、支那から傳わってきたものだ。西暦を使うのはともかくとしても、何も、せっかく支那由來の元號まで捨て去ることはなかろうに。皇帝はおらずとも、国家主席が代わるたびに元號をつくる、という方法もあろう。

 それに比べると、現在臺灣にある中華民國のほうが、まだきちんとしている。中華民國も、元號を廢止してしまったのはもったいない話であるが、そのかわり、年紀法には民國暦を使っているのだ。中華民國ができたとする、辛亥革命の年を元年としている年紀法である。少なくとも、亞細亞初の共和國たる自分たちの國に對する矜持は、その歴史とともに、年紀法にて尊重していると言えよう。

 支那は、四千年の歴史を云々したいのであれば、そして、元號を捨ててしまったのであっても、我が國における皇紀のごとく、その自慢の歴史を數える年紀くらいは、自分たちでつくったらどうなのか。例えば、支那最初の王朝とされる、夏王朝の始まりを元年とする年紀をつくるとかすればいいであろう。それとも、夏などの支那古代王朝と日本とはつながりが深いという話を気にしているのであろうか。

 それならばせめて、中華民國が辛亥革命を元年としているように、支那共産党ができた年を元年とするとか、そんなに誰かの誕生年がいいなら、毛沢東の誕生年を元年とするとか、蒋介石軍を大陸から追放した年を元年とするとか、もっとマシな元年の年紀法も、いくらでも考えられように。

 

紀元二六八二年 令和四年 九月一〇日