第二次世界大戰は、連合国側が枢軸國にしかけた | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 大東亞太平洋戰爭は、日本ではなく、アメリカが日本に仕掛けてきた戰爭である。これはもはや、常識だ。

 昭和十六年十二月八日、日本が眞珠灣攻撃を行い、日本が仕掛ける形で戰爭が始まった、これが、戰後長らく言われてきた妄言である。戰後敎科書も、そのような論調で書かれているのだ。しかし、實際には違う。明らかに、アメリカ側から戰爭を仕掛けてきたのだ。

 大東亞太平洋戰爭開戰前、我が國は、支那事變を戰っていた。これは、我が國と、支那の中華民國正統政權とが、共同で、蒋介石軍閥およびそれにくみしていたというよりは、けしかけもした、毛沢東の第八路軍すなわち共産党軍を、討伐していた戰いだ。

 そこへ介入してきたのが、アメリカである。アメリカは、軍需物資援助をするのみならず、フライングタイガースなる、義勇軍のフリをした戦闘機航空隊を、支那へ派遣。蒋介石軍を助けて日本軍と戦わせていたのだ。

 さらにその上、アメリカは、支那の蒋介石軍占領下にある飛行場を借りて、日本本土を爆撃する計畫までたてていたのである。ところが、欧洲では、ドイツとソ連の連合軍が、ポーランドと開戦したのに對し、イギリスとフランスが、ソ連に對しては黙認してドイツにのみ戰爭を仕掛ける形で、第二次世界大戰が始まっていた。つまり、第二次世界大戰は、欧洲戰線においても、連合国から戰爭を仕掛ける形で始まっていたのだ。

 ドイツが第二次世界大戰を仕掛けて始めたように言われることが多かったけれども、それは違うのである。ドイツは、ただ、ポーランドから、第一次世界大戰においてドイツから奪った領土を、返還してほしかったということなのに、ポーランドが黙殺したため、やむをえずドイツは、ソ連と共同して、ポーランドと開戰したのだ。

 ドイツは、イギリス・フランスと、その時戰爭する氣など無かったが、フランスとイギリスが宣戦布告してきたゆえ、仕方なくドイツは反撃に出たのである。しかし、その反撃は、順調に暹み、電撃戰の結果、フランスはたちまちにして降伏。援軍に來ていたイギリス陸軍も、ドーバー海峡から蹴落とされかけ、ほうほうのていにて、イギリス本土へ引き揚げた。

 そういった状況であったから、アメリカは、日本爆撃に使用する予定であった爆撃機を、欧洲方面にまわさざるをえなくなり、日本本土への先制爆撃計畫は、頓挫してしまったのである。

 つまり、大東亞太平洋戰線においても、欧洲戰線においても、第二次世界大戰を仕掛けたのは、連合国側であり、枢軸國は日獨とも、それに反撃する形で第二次世界大戰は始まった、というのが、正しい歴史の事實なのだ。

 

紀元二六八二年 令和四年 七月一九日