”テレワーク”と出勤者の、メール時間感覺の乖離 | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 武漢風邪騒動の出現以來、自宅勤務”テレワーク”とやらが流行っている。醫療をとりまく關連企業にも、”テレワーク”を導入しているところが多い。特に、營業職などは、テレワークがさかんになされているようだ。

 それ自體は、必ずしも惡いことではない。家でできる仕事は家でやっていいだろう。しかし、我々醫療の現場で働く醫療従事者は、テレワークなどできない。その、我々醫療従事者と、テレワークを行う關係企業社員との、時間感覺の差、というのが、氣になるようになってきた。テレワーク者とは、主に電子通信(メール)でやりとりするわけだが、その、メールにおける時間感覺が、我々出勤者のそれと、テレワーク者のそれとでは、大きく乖離しているように思うのだ。

 我々醫療従事者は、診療等、對面勤務が主である。患者と向き合って仕事をしている時間が長い。従って、パソコン等の機械に向かって、メールを見て、返事を書いたり、という作業は、診療仕事の合間か、終わってからやるしかないのだ。そういったこちらの事情が、テレワーク者には、わからないのか?、わかっていても合わせられないのか?と思うことがある。なにしろ、テレワーク者とメールのやりとりをしていると、返事の催促が頻繁に來るのだ。

 緊急性が高いメールであれば、こちらも直ちに返事を出す。しかし、テレワーク者からのメールは、緊急性が低いものが多い。テレワークでできるような仕事についての連絡だから、當然でああろうけれども。数日~週内に返事を出せばいいだろう、というようなものだ。

 ところが、テレワーク者は、返事を即座にもらわねば落ち着かないらしく、返事を即座に出さないと、翌日には、返事の催促をした上に、また新しいことを付け加えてメールを送ってくる。その付け加え情報も、やはり緊急性は無いのだが、一應、付け加えられたことにも返事を出さねばならないものだから、さらにこちらの返事が後囘しになり遅れてしまう、ということになるのだ。するとまた、返事催促と付け加え情報のメールが届く・・・ということになる。

 結果として、一方的に、テレワーク者からのメールが何通も届いている、ということになるのだ。まとめて電話で返事すれば、数十秒で済んでしまうことなのだが、テレワークなので、會社に電話しても居ないのである。

 こんなメールを送ってくる人も、かつて、テレワークではなかった時には、こんなメールの送り方をしてはこなかった。やはりヒマなのか?時間の感覺が狂ってくるのか?。テレワークなど通常しない日本國人には、想像するばかりであるけれども。

 ともかく、テレワーク者が出勤者にメールを送る際は、少し氣を配っていただいたほうがいいと思う。出勤勞働者は、そんなに緊急性のないメールに即答できるほどヒマではない。そもそも、必ずしも即答しなくていいのがメールの良いところであろう。

 

紀元二六八二年 令和四年 三月二二日