安倍首相辞任は仕切り直しの意味で有意義 | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 先週末、安倍首相が辞任を表明した。與党第一党自民党にては、それを受けて、後繼総裁選擧をめぐる動きが活發化している。

 先日も書いたように、この時期、安倍首相が辞めることは、必ずしも惡いことではない。安倍首相は、武漢肺炎という、新たに出現した問題について、最善とは言えぬまでも、まあ無難に對處してきた。そういった大きな流れはつくった上での辞任であるから、後繼総裁が、この件について、途方に暮れるということもあるまい。

 特に、今、後繼総裁最有力候補と言われているのは、菅官房長官である。菅官房長官であれば、安倍首相が何を考え何をやってきたか、一番身近でよくわかっている人物であろうし、おそらくは、現路線の繼承、變化が多少あるとしても、とりあえずは微修正くらいだろう。

 安倍首相辞任は、仕切り直しの良い機會でもある。武漢肺炎にはまあ無難に近い對處ができているが、そもそも、安倍首相の第一公約は、戰後レジーム脱却だ。そしてこれは全く手つかずのままである。おそらくこのまま安倍政権が續いたからといって、やはりほとんど暹まないことだろう。なにせ、安倍首相が二回目に首相になってからも、8年近い日々がたつ。にも關わらず、日本国憲法を葬り去るどころか、改正と茶を濁しても、それすらも端緒にすらつけていないのだ。このまま續けても、せいぜいケンポー第九条とゃらの微修正ですらも、實現できるかあやしいし、たとえそれが實現できたとしても、戰後レジーム脱却とは、全く言えまい。

 今回の安倍首相辞任は、戰後レジーム脱却ができなかったことへの引責辞任ととらえてもいいだろう。そして、他にやらせてみて、もっとひどいことになったら、健康を回復してより成長した安倍首相が再登板する、というのも可能性としてはあろう。もちろん、安倍首相よりも優れた指導者が出現して、日本を正常化することが望ましいが、現状をみるに、なかなか簡單にはそういきそうにない。

 人材は居るのだ。田母神俊雄氏、西村眞悟氏、もっと若い世代でも、桜井誠氏、丸山穂高氏等、首相になれば安倍首相よりも良い政治を行ってくれるであろう方々は、おられる。しかしながら、その方々のどなたも、政権輿党議員ではなく、現状では首相となるにはなかなか遠いところに居られると言わざるを得ない。織田信長が、いくら天才であったとしても、小なりといえども大名の嫡男であったればこそあれだけの大をなせたのであり、庶民として生まれればそれまでだっただろう。また、豊臣秀吉がいくらすぐれた能力を持っていようと、信長にとりたてられなければどうにもならなかったであろう。

 

紀元二六八〇年令和二年 九月三日