令和元年大晦日 | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 今年もいよいよ、本日で終わりとなる。本紀元二六七九年は、大きな時代のかわりめであった。なによりも、大化以来続いてきた元號が、今年、新しくかわったのである。そして、そのかわりかたも、日本史上初となるかわり方であった。

 ひとつには、今回の改元が、全く予定された改元であったことだ。明治以降平成までの改元は、全て、前天皇の崩御、新天皇の御即位に伴ってなされた。それ以前の改元も、改元と同時に新元號の発表となっていたはずだ。しかしながら、今回の改元は、先帝陛下御攘夷の前に、すなわち今上陛下御即位前に、新元號が発表されるという、異例の事態となった。これについては、いわゆる保守派の間で物議をかもしているところである。

 もうひとつは、元號の由来である。大化以来、平成までは、全て漢籍、すなわち古代支那の文献から選ばれてきた元號が、今回の改元では、和籍の万葉集から選ばれたことである。これはすばらしいことだ。古代支那文明を、正統に継承發展させてきたのは、實は日本なのである。支那は、数百年毎に王朝が変遷し、時には異民族、それも雑多な諸民族がいろんな王朝をたててきたゆえ、文化文明の継承も途切れがちになり、変質してしまうのも当然なことだ。それに比べ、我が日本は、時代・政権が代わろうとも、天皇は一系として続き、文化文明は切れ目無く継承され、進化發展し続けているのである。

 さて、このようにめでたい令和の世であるが、はじまって八ヶ月にして、既に時代の變化の萌芽が表れつつあるところもある。グローバル化の平成から、日本回帰の令和へ、という流れである。ひとつ象徴的な例をあげる。日本には、戰前から、共産党なる政党がある。この政党は、戰前から一貫して、反國體を貫いてきた政党であった。その日本共産党が出している機関紙である「しんぶん赤旗」が、なんと、令和元年を前にして、元號の表記をはじめたのである。ソ連崩壊後、正統共産党の牙城を自任してきたはずの日本共産党にして、ついに、である。

 もはや、日本の日本回帰、ひいては、世界の日本化の流れは止まらない。紀元二七〇〇年世紀には、その流れがいよいよ明らかとなるだろう。その始まりに向かう時代が、令和である。

 

令和元年・紀元二六七九年 一二月三一日 大晦日