”戦後日本”には、”日本国憲法”などというフザけたモノが存在する。
そもそもこれは、大東亞太平洋戰争において、終戰時の政府が連合国風情に降伏した上に、あろうことか、武装解除までしてしまい、その結果として、連合国の首魁アメリカが勝手につくった”憲法”を、ほとんどそのまま受け入れざるを得なくなってしまったものである。昭和二七年の、いわゆるサンフランシスコ講和とやらで、”再独立”した時に、単なる占領法であったとして葬り去ればよかったものを、当時の首相、吉田茂とやらは、それを怠り、あるいは意図して(?)、結果として、現在に至るも日本の統治機関は、これに準拠せざるをえなくしなければならなくなってしまっているモノである。吉田茂、まさに國賊と言えよう。
なんで、昔の外国人どもが勝手につくった”憲法”を、守らねばならぬのか?。誇りある日本國民としては、当然、このような日本国憲法のごとき、認められるわけはない。
このような、”日本国憲法”とやらの、フザけた成立・継続過程を広め、”日本国憲法”撲滅の和を広げていくことが肝要である。政府諸機関が準拠せねばならぬ以上、また、”日本国憲法”を停止して日本を正常化しようという勇気ある首相が現れぬ以上、そのような為政者を出現させるためにも、一般國民から、”日本国憲法”無効化・撲滅の民意を広めていきたいものだ。”日本国憲法”など守らずとも、無視しようとも、別に罰則などは無いのであるし。
令和元年・紀元二六七九年 一〇月二日