倭人  和邇氏と安曇氏 | 大山蓮華

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ちょっと不思議な体験や感じたことを
古文献や民話や伝承などや遺跡の発掘資料などを参考にして
謎解きをしています

 

 

 

   倭人

 

   中国の春秋時代(紀元前770年~紀元前403年)

   長江(揚子江)の下流域の南に

   漢民族ではない 越人と呼ばれる民族(=百越)がいたそうです

   稲作と漁労の半農半漁で高床式住居の文化だったそうです

 

   長江の下流域の遺跡からは

   7000年前の陸稲の籾が発見されています

   この遺跡は越人の祖先と伝えられています

 

   稲作は朝鮮半島経由だけでなく それ以前に

   長江付近から伝わってきていたことが確認されています

 

 

 

 

   紀元前473年頃 越が呉を破る(越も呉も越人)

   紀元前306年頃 越は楚に滅ぼされる

   紀元前221年頃 秦が成立 始皇帝

   紀元前219年頃 徐福が渡来

 

 

   中国の古文書で 倭人という記述は

   漢の時代に書かれたとされている史書に

   「周の2代目の王(=成王)(紀元前1000年頃)に

   倭人が貢物を献じた」

   と記されています

   すでにこの時代には 倭人という呼称が存在しています

 

   また 漢書には

   「朝鮮半島の南の海域に 倭人あり百余国を為す」

 

 

   梁書の東夷伝には

   倭人は「自ら呉の太白の後と謂う」と記されていますが

   呉の国より古い周の時代に倭人という呼称があったようですし・・・

   呉の太白の末裔にも倭人と呼ばれる人達がいたのかもしれませんね

   呉も越も 同じ越人ですし・・・

  

 

   紀元前306年頃 越が楚に滅ぼされたことで

   多くの越人は他へ移動したと思われます

 

 

 

 

   西暦57年 漢の武帝から倭奴国王に金印が贈られたとされています

   金印の出土は 北九州 博多湾の志賀島

 

   志賀島には志賀海神社があり 安曇氏の地として知られています

   安曇氏は 倭人? スンダランドから北上してきた民のようです

 

   長江の下流域からは2日くらいで北九州に漂着するらしいです

 

   また

   北陸の地も古くは古志国(=越国)といいました

   海流に乗って移動していたようですが 帰るときは大変でしょうね

 

 

 

 

   中国にいた頃から倭人と呼ばれていたのか

   渡来してから倭人と呼ばれるようになったのかわかりませんが・・・

 

   越人は 

   長江の南・中国南部から北ベトナム付近に居住していた民族・・・らしいです

   ミャオ族は漢民族系・・・らしいです

 

     九州南部に居住していた民族(熊襲や隼人など)は

     ミャオ族などの漢民族系かもしれませんね

 

     インド南部に居住していたドラヴィダ人は

     アムール川経由で渡来したと伝承されている出雲神族と呼ばれ

 

     海路でスンダランド(タイやマレーシア付近など)から北上して

     沖縄や九州などに渡来した人達もいたようです

     この人たちが海人族と呼ばれているらしい

 

 

 

 

   これらの資料によると 越人から倭人 

   倭人は海洋民族で 海洋民族は海人族

   海はワタツミともいうので ワタツミを変換すると綿津見・海神

 

   海人というのは

   漁業を営んでいた人たちとか 半農半漁の人たちとか

   海に関わっていて 航海術に長けていた人達のことで

   徐福の渡来を手助けした可能性が高いですね

 

 

 

   宇佐神宮宮司・宇佐公康氏は 和爾族はワニ神を祖神とする・・・と伝えていますが

   

   和邇(ワニ)は  ヨウスコウワニが由来か?

   長江は揚子江のことです

   長江の下流付近を揚子江というらしい

 

   ワニは 日本にいないのでワニ鮫のこととしたのかな?

 

 

 

   古事記・日本書紀では

   豊玉姫は綿津見の姫で 出産の時はワニの姿と記しています

 

    豊玉姫は 和邇氏の姫なので本来の姿がワニ・・・(笑 ちょっと短絡的?)

 

   豊玉姫は 豊の国の姫ですよ

   ( 徐福が2度目に渡来したのは有明海で 紀元前210年頃

   ( この時 豊の国に居住していたのは菟狭族だった

 

    綿津見=海神=海人

    海人は 海を渡ってきた越人

    ワニのいる所(長江下流域)から来たので=和邇(ワニ) (笑 やっぱり短絡的?)

   

   インドのナーガ(竜蛇)は ワニと蛇(コブラ)を合体させたもの・・・らしいので

   和邇(ワニ)族は ワニを恐れ崇拝していた民族ということでしょうか?

   西洋のドラゴン(龍)には翼がありますが 東洋の龍に翼はありませんね

   ワニを恐れ崇拝し 後にワニが竜(龍)に変わっていったのでしょうか・・・

 

   個人的には

   アニメの影響かもしれませんが 龍には翼があると思っていましたが

   自分の左腕に しがみついていた可愛い龍ちゃんには

   翼は無かった

   

 

  

   

 

   志賀島神社は 綿津見を祀り 安曇氏の祖としている

   この志賀島神社では 綿津見=海神=海人

    

    志賀海神社が現在地に創建されたのは 2世紀頃と伝えられています

 

   安曇氏は

   宇佐家や丹後の海部家などと

   婚姻関係を結んだり 養子や御婿さんなどもあったようです

    

     これは情報の交換・共有をしていた・・・ と推測できますよね

     例えば 籠神社の由緒には 4代目の倭宿禰命は亀に乗って云々・・・と伝えています

     志賀海神社でも 安曇磯良は亀に乗って龍宮に行ったと伝えています

     浦島太郎のお話も 亀に乗って龍宮に行ったし・・・

 

   

   ワニを祀る和邇氏と 龍を祀る安曇氏

   ワニ=龍 だったのだろうか・・・?

 

 

 

 

   安曇磯良の容姿伝承は中世以降のようですし 

   創作の可能性が高いですね

   安曇磯良=志賀島明神=鹿島明神=春日明神

    しかのしま=志賀島=鹿島 というように繋がりますが

    鹿島神宮は 基は出雲系のような気がします

    藤原不比等らによって現在地に遷座して それから春日大社に分霊したようですし・・・

 

 

 

   対馬には 楽しそうな古代伝承が残っていますね

   磯良はウガヤフキアエズだ・・・とか

   磯武良とか 豊玉姫とか  和多都見神社の磯良エビスとか

   呉の王族の末裔で亡命してきた・・・という地元伝承もあるらしい

 

 

   対馬の伝承をまとめますと

   豊玉彦の子は 穂高見と豊玉姫と玉依姫

 

     豊玉彦が =綿津見で 安曇氏の祖・・・

 

   ホホデミが対馬にやって来て豊玉姫に出会い 三年居住し子が生まれ

   この子は叔母の玉依姫が養育し ホホデミと玉依姫は結ばれる

 

   対馬には 豊玉彦と豊玉姫の陵墓がある・・・と伝えられています

 

 

   また

   磯良は 海底に潜み牡蠣や海藻などが付いて・・・と伝えられているので

   潜む=隠れる=逃亡していた・・・と解釈も出来るし

   三国志魏書倭人伝には

   倭の海人は入れ墨をしていたとの記述も残っているので

   牡蠣やフジツボなどが付いて・・・=入れ墨 という解釈をすると

   楚に敗れた呉の王の子孫が海を渡ってきた・・・と解釈することも可能ですね