月読命 5  月読命は女神さん | 大山蓮華

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ちょっと不思議な体験や感じたことを
古文献や民話や伝承などや遺跡の発掘資料などを参考にして
謎解きをしています

 

 

 

                                     弁才天さんを探して   19

                                     追跡   月読命

 

 

 

 

 

   月読さんは女神だった

 

 

 

   これが わからんのよね・・・

 

 

   玄海島の公式サイトには

   月読命は オコゼの好きな女神だった と記されていた

 

   壱岐の月神が 山背国(京都)に遷座したのは487

  遷座の理由は 簡単にいうと

  「国の安泰と繁栄のために月神を祀れ」という神託があったという

 

 

 

   壱岐の月読神社は 元は社殿は無く 山の神を祭っていたという

   1692年に月読神社に推定されて 社殿が建てられたが

   この推定は 間違いだという

   

   芦辺町町史には

   箱崎邑釘丘郷に天月神社あり是古社なるべしと云る證ありて

   聞ゆれば箱崎邑と定めて可ならん・・・

   

 

   壱岐の月読神社は 箱崎八幡神社ということですね

 

 

   天月神命 あめ(あま)のつきのかみのみこと

   「天」は 「海」のこと

   天月神命は 先代旧事本紀では壱岐県主の祖と記されています

   神話では

   天月神の祖は 高産霊尊(たかみむすひのみこと) 別名は高木神

   ( 高木という名は紀元前210年以降に出てくる )

 

 

 

 

   ここから妄想をすると・・・

 

 

 

   役小角が 修行をしていたとき天女が顕現して 弁才天とした

   後に 空海が弁才天を感応して十一面観音を刻んで白飯寺を開基した

 

   空海は 三峯山で十一面観音を刻んでそれを本尊として寺(観音院)を開基している

   三峰山で感応したのは たぶん女神さま・・・

   大口真神は 天台系修験の日光法印が感応して祀った

 

   泰澄は 十一面観音のお告げで

   白山で女神を感応して 白山妙理権現とした

   白山妙理権現は 後に菊理姫と呼ばれた

 

   沖縄の天久宮の由緒によると

   顕現した天女は 国家鎮護の弁才天だった

   また 琉球の古語辞典「混効験集」には

   「聞得大君の本地仏は弁才天なり」と記されている

   聞得大君(きこえおおきみ)とは

   琉球王朝の最高位の巫女(神女・ノロ)のこと

 

   蓮華が感応したのは 山の神というより 大地の女神・・・

 

   秩父の柞乃杜に顕現したのは 大地の女神

 

 

   大地の女神は 山の神でもあり 弁才天・・・

 

 

 

   「安泰・繁栄のため」というのは国家鎮護のためということだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

   月読神社が 487年に京都に遷座する前に

   壱岐の男岳山には 女神が顕現していたのだろう

 

   山の神には オコゼを奉納する風習がある

   山の神がオコゼを好きな理由は見つからなかった・・・

 

 

   京都の松尾大社では 何故 鎮座の古い月読神社を摂社としたのだろう

   

 

 

 

   壱岐の男岳山に 月氏が先祖を祀った

   のちに 月氏の先祖霊は 月神と呼ばれるようになり

   月神は 月読命となった

 

   だが 男岳山には女神が顕現した

 

   壱岐では 山の神である女神を 月読命としていた

 

   それは 間違いではなくて

   月読命という神名は 壱岐が発祥なのだ

   壱岐では 山の神である女神は 月読命という神名なのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

   壱岐の「原の辻遺跡」は弥生時代中期・後期の

   一支国の王都と特定されています

 

   月氏の子孫も秦人も渡来したのは 弥生時代

   婚姻関係などによって 同族とされている可能性もあります

 

   秦の徐福の渡来は弥生時代の 紀元前219年と伝えられています

   二度目の渡来は紀元前210年

   2度目の渡来の時 徐福の母(千千姫)も渡来して高木と名のった・・・らしい

 

 

 

   山背国(京都)は渡来した秦人たちを移住させた地だという

   太秦(うずまさ)は

   多くの秦人たちが住んでいて 

   朝廷からウズマサ(ウツマサ)という姓が秦氏に与えられたとする説が有力なようです

   ウズマサは菟豆満佐(兎豆麻佐)とも表記するらしい

 

 

   菟は ウサギのこと

   木菟はミミズクのこと  木の上に住むウサギ・・・

 

 

   ウサギというと因幡の白兎のお話・・・

   出雲の伝承によると

   菟狭(ウサ)族と和邇(ワニ)族の争いを出雲の王が仲裁して

   菟狭族は因幡国に移住したと伝えている

   出雲の王は菟狭の姫巫女(八上姫)を妃とした

 

   宇佐神宮の付近には菟狭族と呼ばれる人達がいた・・・らしい

   宇佐神宮の宮司は宇佐氏

   宇佐氏の分家は 宮成・到津・岩根・安心院・出光

 

   富氏の伝承によると

   「豊の国」の「豊玉姫」は月神を信奉していたと伝えている

   豊の国は かつて宇佐島と呼ばれていた・・・らしい

   

 

   宇佐島の宗像氏は出雲の分家・・・

 

   出雲族のトーテムは 龍

 

   月をトーテムとしていたのは・・・

   アメノタリシヒコ(阿毎多利思比弧)

   随書の倭国伝によると

   小野妹子は「遣唐使」ではありません

   唐の時代は618年からなので

   600年と607年に小野妹子が行ったのは「隋」なのです

   小野妹子を派遣したのは アメノタリシヒコ

   

 

 

 

 

 

   古事記・日本書記に書いてあることから

   実際には何があったのかを探るのは 推理小説みたいです

   民話も同じです

 

   記紀は七世紀頃確立した天皇制を正当化するために記したもの・・・

   風土記は 朝廷に指示されたものなので 全てが残っていない・・・

   先代旧事本紀は 記紀に合わせて記されていることが多い・・・

 

 

 

 

   語り継がれている口伝・伝承は・・・遺跡などと一致することが多いです