武甲山 | 大山蓮華

大山蓮華

ちょっと不思議な体験や感じたことを
古文献や民話や伝承などや遺跡の発掘資料などを参考にして
謎解きをしています

 

 

 

 

 武甲山資料館によると

 古い時代は文字の無かった時代(紀元前?)はタケヤマ 嶽山と呼ばれ

 知知夫彦命の時代は 秩父ヶ嶽(知々夫ヶ嶽)

 701年初代国司の引朝臣祖父から 祖父ヶ嶽(おおじがたけ)

 平安時代の武光庄から 武光山(たけみつやま)

 1235年秩父神社に妙見さんが合祀されてから 妙見山

 元禄時代に日本武尊が武具・甲冑を埋めたという伝説が伝承されたことから 武甲山

 

 

 

  ヤマトタケルの伝説は元禄時代(1688~1704年頃)からだった!

  

 

 

  以前見た 三峰神社の由緒には

  ヤマトタケルと白い犬の話があったと思うが 今は無い

 

  今(2017年4月27日現在) 三峰神社の由緒書きには

   「尊は甲斐国から上野国を経て碓氷峠に向かわれる途中当山に登られ~

 

  探してみると

  「秩父民族 13」 (秩父民族研究会 1981)の

  「秩父地方におけるヤマトタケルノミコトの伝説」斉藤弘一著には

    三峰神社の縁起によると 

    ミコトが雁坂(山梨との県境)を越えようとして原始林の林の中で道に迷い難渋していると

    どこからともなく白い狼があらわれてミコトを案内した

    今の三峰神社のあたりで姿を消した

    ミコトは神の導きとして「イザナギノミコト」「イザナミノミコト」の二神を祀った

 

    日本書紀巻第七に

    ヤマトタケルが信濃に進入したおり

    道に迷ったところ 白犬が王を導いた

    という記事に合致するとあり

 

 

 

   「秩父・奥武蔵 山と伝説の旅」 神山弘著 1985 には

   先導者の謎のところに

   白い狼が先導・・・三峰神社  と記されている

 

  

                        

 

 

 かつて 武甲山は

 山が人為的に崩される前には1336mあり3つの峰があったという

 「秩父誌」によると 蔵王権現社・熊野権現社・大通竜奥社があったという

 この山全体が修験の聖地だったようだ

 縄文時代の遺跡や磐座のあったらしい

 

 

 横瀬町公式HPによると

 かつて武甲山の山頂には蔵王権現社・熊野権現社・大通両権現社~

 

 蔵王権現社が本社とされ 明治初期には御嶽神社と改称された

 

 

 御嶽神社は代々守屋家が努めているという

 古くは熊野権現社を祀っていたがその管理も守屋氏である

  ここの守屋氏は物部の守屋なのか?

 

 

     諏訪のタケミナカタトミノカミを祀るのは物部の守屋氏であるが・・・

 

     「諏訪大明神絵詞」によると洩矢神を祀る先住民族がいた

     諏訪は以前は洩矢神(もれやのかみ)を祀っていた

     神長官は守矢氏でミシャグチ神が憑依して宣託を降ろしていた

     ミシャグチ神は自然万物に降りてくる精霊といわれ

     守矢(洩矢)氏の姓から モレヤの神ともいわれている

     ミシャグチは漢字では 御社宮司・御射宮などと書かれます

     縄文時代からの諏訪の土着神で 蛇体の姿で表わされることが多いという

 

 

  武甲山御嶽神社里宮社務所の杉板戸にはさまざまな画が描かれていて

  その中には「海幸彦・山幸彦」が描かれているが 作者不明

  いつ頃描かれたのだろう?

 

 

 

 

 

 

                                    ベランダの鉢植えのすずらんが咲いた