ドラマで知られるようになった海の道しるべ。
☓印の上の横板は、じょうぶにするため。
浅瀬があることを示すために立てられている。
もとは奈良時代に始まる。(調べてみると澪標は飛鳥時代からあった。)
平城京から
難波に向かって、背丈より高い葦が生えていた。
紀貫之もこの葦のなかで2日間も迷子になっている。(これも調べた。20日間も迷っていた。)
湿地なので大変だった。
だから、
この道しるべが難波あたりに立てられたのだ。
やがて難波は埋め立てられて、
現在、
葦の原は、
近江八幡あたりに残っているだけのようだ。
<今の運勢>
「鼎(てい)」。鼎が宝石で飾られている。大吉。存在そのものが皆の尊敬を集める。