うちの方では、政府の方針に従うだけで、
文化を大切にする頭がないから、
古い町並みは壊してきたし、住所も勝手に番号にする。
比地町、志保町、片原町、など、本町までぜんぶを
今では知っている人が少なくなった。
この正面あたりにそれらがある。
京都は政府に逆らって、文化や歴史を守ってくれた。
学生時代に修学旅行生たちを連れて
バイトで何度行ったことか。
きのう、京都に住む友人から手紙が来て、
清水寺のことを書いていた。
あの寺は、
胆沢(いざわ、今の水沢市)から連れて帰った蝦夷のアテルイらを
朝廷が処刑したので、坂上田村麻呂が悲しんで造営した。
田村麻呂を祀ったお堂もある。
明治になってうちの町出身の男が
胆沢県知事になったから、
ちょっと関係があるかな。
<今の運勢>
「復」。中行して独り復(かえ)る。旗のもとに人々が結集して進んでいくが、その集団からひとり離れて引き返す。大勢につかず戻るのは凡人には勇気がいることだが、それが平気でできる心がなくてはならない。みんなについて行かないほうが良い。