ウクライナのことを書こうとしたけれど、
内容が重なるので
以前書いた記事を少し変えて載せることに・・
日露戦争の山場は3つある。
1つは乃木大将の旅順攻撃、
2つは日本海海戦、
3つは奉天会戦、である。
これは大洲の城山にある乃木大将筆による碑
奉天会戦のときは
秋山好古(よしふる)の騎兵隊が左翼を支えた。
易経に「左次(ひだりにやどる)」という文がある。
軍の一部を
左側に静止させておくという意味である。
(退却させるという解釈もあるが、「次」は「我慢して留まる」と解釈したほうが良い)
相手は当時世界最強と言われていたコサック騎兵であった。
当時のコサック騎兵。
映画「戦争と平和」で、
ナポレオンが歩兵の動きが遅れているのを見て
騎兵を使って
戦況をあっという間に打開するシーンがあったが、
あれが騎兵の働きである。
騎兵同士の戦いでは10万のコサック兵に勝てない
と考えた好古は
(好古の部隊は1万足らずだった)
馬を後方に置いて、
塹壕(ざんごう)に隠れて機関銃で対抗した。
好古はコサック騎兵を倒し,
その勢いのままロシア軍の中にまで進攻した。
重機関銃の重量は50キロ以上ある。威力はすごかった。
ロシア軍の将軍クロパトキンは後退を命じた。
日本軍が深追いしなかったのは正解だったと思う。
ロシア軍は懐が深い。
ロシア軍を追ったナポレオンは最後に敗れている。
母方の祖母が松山の女学校に通っているとき、
ロシア兵の捕虜たちに
「お人形さん」と声を掛けられたそうである。
彼らの中には
「松山、松山」と叫びながら投降した者もいた。
捕虜たちは大切にされ、買い物なども自由にできた。
格好がよく、体格も良く、
よくあんな人たちに勝ったものだ、と祖母は言っていた。
着物を着ているロシア人捕虜
貴族が将校だった中央軍と違って、
コサック兵はウクライナ出身の傭兵集団である。
郷土意識の強いコサック兵は共産党になじまなかった。
やがて彼らは赤軍に攻められて抹殺される。
ソ連のスターリンはグルジア出身である。
グルジアやチェチェンの山岳地帯は各地域が独立していて、
よそ者と山中で行き会うと
やられる前に殺すという土地柄である。
そこで育ったスターリンは
コサック=ウクライナを信用しなかったのだ。
スターリンの出身地グルジアの村。この地形がよそ者を警戒する気質を生む。侵入してくる敵を警戒して作った塔がまだ残っている。
プーチンもウクライナを信用していない。
それどころかウクライナ南部に侵攻したこともある。
ウクライナは、
ロケットエンジンを北朝鮮に売ったりしている。
安倍首相は、
そのような事情を知ってか知らずか
ウクライナに大金を出し続けている。
追記1:日露戦争のロシア軍は日本軍の10倍の兵力が控えていて、次々と
シベリア鉄道で送られる予定だった。
追記2:明石大佐が親友のレーニンに資金を渡して後方撹乱を行ったのが大きい。
追記3:日本軍の死者の半数は肺炎などの病死である。
暖かい衣類を兵士に着せるべきだった。
追記4:プーチンは法学部で経済を専攻し、
ロシアにそれまでの数倍の経済発展をもたらした。
日本は彼とは話が合うはずである。
<今の運勢>
「屯(ちゅん)」。始めるのはまだ早い。早すぎるとやられる。もっともっと計画を立て準備をしておかなければならない。準備はしっかりと、あまり人には教えないように。
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