奉天会戦のときは秋山好古(よしふる)の騎兵隊が左翼を支えた。

易経に「左次(ひだりにやどる)」という文がある。

軍の一部を左側に静止させておくという意味である。

(左翼を退却させるという解釈もあるが、「次」は「我慢して留まる」という意味)

 

相手は当時世界最強と言われていたコサック騎兵であった。

 

当時のコサック騎兵

 

映画「戦争と平和」で、

ナポレオンが歩兵の動きが遅れているのを見て
騎兵を使って戦況をあっという間に打開するシーンがあったが、
あれが騎兵の働きである。

 

騎兵同士の戦いではコサック兵に勝てないと考えた好古は

馬を後方に置いて、
塹壕に隠れて機関銃で

コサック騎兵を倒し,
その勢いのままロシア軍の中にまで進攻した。

 

使われた重機関銃の写真もあったが生々しいので漫画を使わせてもらった。重量は50キロi以上あるので運ぶのは馬。威力はすごかった。

 

クロパトキンは後退を命じた。
日本軍が深追いしなかったのは正解だったと思う。
ロシア軍は懐が深い。
ロシア軍を追ったナポレオンは最後に敗れている。

母方の祖母が松山の女学校に通っているとき、
ロシア兵の捕虜たちに「お人形さん」と声を掛けられたそうである。
彼らの中には「松山、松山」と叫びながら投降した者もいた。
捕虜たちは大切にされ、買い物なども自由にできた。
格好がよく、体格も良く、
よくあんな人たちに勝ったものだ、と祖母は言っていた。

 

着物を着ているロシア人捕虜

 

貴族が将校だった中央軍と違って、
コサック兵はウクライナ出身の傭兵集団である。

郷土意識の強いコサック兵は共産党になじまなかった。
やがて彼らは赤軍に攻められて抹殺される。

スターリンはグルジア出身である。
グルジアやチェチェンの山岳地帯は各地域が独立していて、
よそ者と山中で行き会うとやられる前に殺すという土地柄である。
そこで育ったスターリンはコサック=ウクライナを信用しなかったのだ。

 

スターリンの出身地グルジアのゴリの郊外。谷間ごとに城が残っている。

 

プーチンもウクライナを信用していない。
理由がある。
ウクライナの大統領や閣僚は国家予算の大半を私物化しているのだ。

 

安倍首相は、そのような事情も知らずにウクライナに大金を出した。
日本には1千兆円の借金があるというのに。

そして、ウクライナは日本に感謝するどころか、

金のために、ロケットエンジンを北朝鮮に売った。


追記1:日露戦争のロシア軍は日本軍の10倍の兵力が控えていて、次々と
      シベリア鉄道で送られる予定だった。
追記2:明石大佐が親友のレーニンに資金を渡して後方撹乱を行ったのが大きい。
追記3:日本軍の死者の半数は肺炎などの病死である。
       暖かい衣類を兵士に着せるべきだった。
追記4:プーチンは法学部で経済を専攻し、
      ロシアにそれまでの数倍の経済発展をもたらした。
       日本は彼とは話が合うはずである。